あなたの「ヴォイス」はありますか?
先日、この本を再読しました。
- 作者: 内田樹,釈徹宗
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/02/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 6人 クリック: 88回
- この商品を含むブログ (48件) を見る
(装画は井上雄彦さん)
タイトルからして、一見、怪しげに感じられるかもしれません。
しかし、内容は宗教前史論・民俗学、埋葬史、それから日本の現代宗教観に渡るまでを分かりやすく語った、対談形式の思想本です。
この中の一節に、心が揺さぶられました。
内田
「『クローサー』という映画で、新聞記者(ジュード・ロウ)がロンドンの街で出会った少女(ナタリー・ポートマン)に、「仕事は何やってるの?」と訊かれる場面があります。
「新聞記者」と答える。
「何を書いているの?」「死亡欄」。
で、そんな仕事が面白いのかと聞かれると、こう答えるんです。
「僕はほんとうは作家になりたいいんだけど、まだ自分のヴォイスが見つからないんだ」
この「自分のヴォイスが見つかる/見つからない」というのは、僕にはすごくよくわかる。
村上春樹さんも書いていたけれど、作家の条件というのは、自分のヴォイスが見つかるかどうかにかかっている。
自分のヴォイスを探しあてたら、あとは無限に書ける。
ヴォイスというのは、なんとも他にいいようがないんですけれども、語法、口調、ピッチ、語彙、語感などが全部含まれると思うんです。
そのヴォイスを見出すと、言葉が流れるように出てくる。
ヴォイスが見つからないと、何を語っても、どこかでつっかえてしまう。あるいは、出来合いのストックフレーズを繰り返す以上のことができない。
ヴォイスで語ると、たとえばほとんどがストックフレーズで出来ている文章を書いても、そこにまったく違う、何か活き活きとしたものが感じられる。」
(同著 「質問の時間」 P.271〜272 より 抜粋)
- 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
- 発売日: 2010/08/25
- メディア: Blu-ray
- クリック: 7回
- この商品を含むブログを見る
わかり過ぎるほど、わかる言葉です。
「何を語っているか」も大切ですが、結局「誰が語っているか」に勝るものはないと思います。
それは、吉本隆明さんが言うところの「沈黙」であり、何かを発する際には、外部世界と自分をつなぐ精巧な「フィルター」を生成せよ、ということなのでしょう。
「ヴォイス」は小説家だけでなく、すべての作り手に必要なものです。
作家も、ミュージシャンも、役者も、タレントも、映画監督も、テレビ番組制作者も、研究者も、お笑い芸人にも、その人・あるいはそのチームにしか出せない「ヴォイス」が求められます。
私たちはそれが聴きたくて、耳をすませます。
では、「ヴォイス」を作るもとになるのは何か。
私は、「東京03×オークラ」の対談を思い出しました。
オークラ
「(飯塚さんの葛藤時代を評して)
元来がスーパーツッコミなんで、ちょっとでもはしゃいだり、図に乗ったりしている人に対しての目線がものすごく厳しいんですよ。
その分、自分の行動もストップさせちゃうんです。
それをどうやって解放したらいいのかっていうので悩んでたんですよね。」
「コントの現在『東京03×オークラ』」P.43 より抜粋
コンビ時代にはなかなか見つからなかった飯塚さんのヴォイス。
それを得る過程で、彼は2回、『場』を変えています。
ひとつめは、さまざまなユニットコントへの参加です。
ラーメンズ・オークラとの『チョコレイトハンター』、
ドランクドラゴン、おぎやはぎとの『東京nude』など*1で彼は、既に「ヴォイス」を持った人たちと存分に交わり、コントを楽しみました。
大いに刺激を受けたであろうそれらの経験は、彼を解放し、前へ進むための礎になったと思われます。
また、「自分のヴォイス」を表現しようと模索する中で、新たな仲間を見つけます。
それが、角田さんでした。
東京03結成を外側から見ていた、オークラさんの話。
オークラ「(角田さんが、自分の持っているキャラクターで笑わせることができる)腕があるって気づいた飯塚さんが自分の理想とするネタを作る上でこの人が必要だってことがわかったんです。」
(中略)
(しかし、それに気が付いていなかったオークラは当初難色を示していた)
飯塚「最初のアルファルファ+ゲスト角ちゃんっていうライブを1回やったときは手伝ってもらえなかったんですよ」
オークラ「なになに、角?角なにって。」
角田「田! 田!」
(一同、笑)
飯塚「『1回自分たちでやってみて』って言われたのははっきり覚えてますね。」
オークラ「それで観に行ったんだよね。
そしたらもう面白くって。なんだこれはって。
飯塚さんが表現したい、いわゆるツッコミ目線の、人の嫌なところとか『何こいつはしゃいでんだ』って感覚をついにネタとして昇華させるところに行きついたわけですよ。『これはイケる!』って思いましたね。
それで飯塚さんに『俺、東京03やるわ』って。」
(一同、笑)
場を変え、形を変えて見つけた飯塚さんの「ヴォイス」。
それは、既に彼の中にあった「スーパーツッコミ目線」を生かすという、原点回帰によって誕生しました。
不遇時代に育てた飯塚さんのヴォイスが結実した成果は、現在、毎回、全国ツアー規模で行われる単独ライブと、「ウレロ☆未完成少女」で披露している完成度の高いシットコムなどで見ることが出来ます。
ヴォイスは、きっと、どんな人の心の中にもあります。
それは、生育する過程でみた風景、食べたもの、関わった人たちの影響などが、ゆるやかに交わってつくられるものです。
ただ、原点をてらいなく見つめて差し出せる強さが、何かを分かつように思います。
環境は時に過酷で、受容しがたいと感じる場合もあるでしょう。
しかし、それを正誤・善悪などの枠を取り払って見つめ、自分のフィルターを通して表現する覚悟を持つ人だけが得られるもの、それが「ヴォイス」ではないかと思います。
また、逆説的ですが、ヴォイスを持った人は寛容です。
他者を受容することと自分を受け入れることは、ほとんど一緒だからです。
私は、ただのいち受け手に過ぎません。
でも、同じ時代に生きる人たちのヴォイスを聴くのは、生きる楽しみの中でもかなり上位にランキングされるものの一つです。
優れたヴォイスを持つ人、チーム、そしてヴォイスを探そうと模索する人たちを心から応援していきたいと思っています。