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真ん中にあるもの その1 ラボルト精神病院の日常

きっかけは、この記事だった。


INTERVIEW 「正常」とは何ですか?


伝説の精神病院「ラ・ボルド」で写真家・田村尚子が写した問いかけ



WIRED.jp(写真は当該記事より引用、以下同様)

フランスの精神病院、「ラボルト」を写真家の田村尚子さんが、6年に渡り取材した経緯等の紹介。
その様子は、写真集「ソローニュの森」に収められている。


ソローニュの森 (シリーズ ケアをひらく)

ソローニュの森 (シリーズ ケアをひらく)

病院は、古城を改装して作られている。



雰囲気のある白壁、広い庭、周りには木々が天高く生い茂る森。




その美しいさまからは、いわゆる「病院」という印象はまったく受けない。
ここでは、患者と医師や看護師、病院職員などが一体となって経営、治癒を行っているという。


調べると、ドキュメンタリー映画が出ていた。

すべての些細な事柄 [DVD]

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物語は、年に1度行っているらしい劇の出しものの練習風景と、
日常の風景がおり混ぜられながら進んでいく。


見ていて、わたしは何度も混乱した。
まず、白衣を着た人がいない。誰が先生で、誰が患者なのかわからないのだ。


疾患特有の身体の動きや、ちょっとした声掛けの中から把握するしかなかった。


休憩室では、看護師と患者さんが一緒に煙草を吸いつつ、ジョークを飛ばしあっている。


『(君も)ちょっとビョーキね』
『そうね』
『困るな…看護してもらえなくなる』
『患者になったら看護しないわ』


食事をつくるのも、専門の職員だけではない。
医師や看護師、患者も一緒になってやっている。
パセリをたたくのと、玉ねぎの芯を取るのは患者さん、
サラダを盛り付けるのは看護師さんといったふうに。


電話交換台をまかされていたのは、少し吃音気味の患者さん。


伸びたヒゲをカットするのも、患者同士で行っていた。
ただ要領を得ないから、時間がかかる。
切られている方は疲れてすっかり飽きてしまい、
フィガロ(新聞)はないの?』
なんて文句を言う場面も。
でも仲良さそうに世話を焼きあっていた。



この病院の創始者は、思想家のフェリックス・ガタリ氏と、精神科医ジャン・ウリ氏だ。
ガタリ氏は、管理主義的だった当時の精神病院の在り方に疑問を抱き、
ラボルト精神病院の創設に至った。


彼は、ラボルトに、患者・治療者・教育者・職員などがすべて参加する
運営会議として「協同委員会」を設置した。
また人間らしい生活のために、
新聞発行、絵画、裁縫、鶏小屋、園芸などを行う「作業場」をつくり、
立場の如何に関わらず、横断的に参加できるようにした。


さらにはすべての人がローテーションで仕事を行えるように、「役割分担表」をつくった。


連絡・調整するための「事務局」もおかれた。


家政婦や会計として働いている職員も、ときには患者に注射をし、夜勤を行う。
患者はそれぞれができる範囲で、作業に参加。
看護師も、食事制作を担ったり、恒例行事の演劇活動にも、役者や楽団員として参加したりしていた。*1


もちろん、必要な場面では、専門家としての立場が優先される。
映画を見ていても、細かな配慮は随所に感じられた。


ガタリ氏の著書より。

(それぞれの職務を随時シャッフルする)「ローテーション」によって形成され「役割分担表」によって導かれながら、
情操と教育の集いに活発に参加する指導員たちは、
しだいに彼らが病院にやってきたときとはかなり異なった存在になっていきました。


彼らはラボルト的システムによって明らかになった狂気の世界になれ親しみ、新たな技術を獲得しただけでなく、
彼ら自身のものの見方や生き方が変化したのです。


より正確にいうと、多くの看護師や教育者、あるいはソーシャルワーカーなどが、
通常自分を不安にする他者性に対して身を守るためにまとう鎧を脱ぎ捨てたのです。


精神病患者についても同様のことが言えます。
なかには、たとえば絵画においてまったく思いがけないほどの表現能力を発揮するようになった者もいます。
もし、彼らがそれまで通りの仕方で生活を続行していたら決して現れなかったような表現能力を示したのです。


事務員としてきた者も肉体的な仕事を好んでするようになり、農業をやっていた者もクラブの運営に身を捧げ、
だれもかれもがそこに気晴らし以上ののものを見出すようになったのです。


つまり世界との関係が刷新されたということです。


精神病院と社会のはざまで

精神病院と社会のはざまで


同著 3章目「精神の基地としてのラボルト」 P.97〜99 より抜粋


ラボルトの人たちは、ガタリ氏が言うようにまったく垣根がなく、誰しも対等だった。
はじめは、そのことに驚いた。
なぜ、こんなに心を開いて接しあえるのだろうとさえ思った。
しかし、次第にじぶんの中にある「垣根」や「差別心」が恥ずかしくなった。


本来同じ地平に立っている仲間へ、傲慢にも異なる場を与えていたのは、他でもないじぶんだった。



あらゆる分野において、専門的な知識は大切だ。
高い専門性が必要とされる医学の分野はもとより、
音楽や演劇のプロがいないステージを思うと、心底不安になる。


ただ、それがもっとも発揮されるのは、
あらかじめ決められた位置からの仕事ではないのかもしれない。




何もかもを包み込む「日常」と「隣人」の偉大さよ。




また、ラボルトでは、前述のように
音楽や絵画、演劇など、芸術的なものが大きな役目を担っている。


それは治癒の一環としてだけではなく、
何かもっと大きな存在として機能していた。


…………

この頃、書きだすとつい長くなってしまいます。
アートとこころの話については、また次回に。

*1:ガタリ氏の著書「精神病院と社会のはざまで」 P.92〜97より