静寂を待ちながら

お笑い、テレビ、ラジオ、読書

「森田一義アワー・笑っていいとも」とわたし

いいとも」が終わる。
一報が流れた2013年10月21日、わたしはショックで風邪をこじらせました。ほとんど失恋したみたいな精神状態からようやく立ち直ったところです。
動揺っぷりに我ながら驚きました。振られた相手にラブレターを送るみたいな気持ちで書いてみます。

…………
子どもの頃からずっと観てきた「いいとも」とタモリさん。思い出には枚挙にいとまがありません。
昔は結構お酒がらみの話が多かった気がする。
「俺、今日も二日酔い」「五時まで飲んでたからさー」「昨日は飲み屋でケンカしたの。っていっても店内で不穏な空気を出して周りの客や店員さんをやきもきさせてから、『やるか!』と外に出ただけなんだよね〜。あの後仲間で爆笑したよ」
みたいな話が好きだったなあ。

印象的な場面も32年分、いろいろ。
とっかかりのない女優さんなんかだと「綺麗ですよねー」「かわいいねえ」だけで20分持たせてたテレフォンショッキング、「安産!」「すっぽん!」、三田寛子のおっとりし過ぎなお料理タイム、ランダムな50個のワードを暗記するタモさんに感嘆するだけのコーナーなど。
あと、とある年の年末年始テレフォンがSMAP木村拓哉さん→稲垣吾郎さん(逆かも)ってことがあって、まだ20代前半の二人が「(年またぎが)僕らでいいんですか?」とすごく恐縮していたのを覚えている。謙虚なアイドルだって思った。
思えば平日の昼から無意味で微毒なお笑い番組を流すってだいぶクレイジーですよね。いい国だ。


開始は1982年10月4日。夕張炭鉱が閉山し、SONYが世界初のCDプレーヤーを発売した年だそうです。
とんねるずが「おっとっと」のCMを始めたり、「E.T.」が公開されたりもしたらしい。
高度経済成長がひと段落し、バブルに向かっていく時代でした。右肩上がりを至上命題とした「THE20世紀」なあの頃に、「やる気のある者は去れ」「反省しない」「今年の目標は現状維持」と語り続けた凄味よ。
時代は流れ、日本にはなんやかんやがありましたが番組は軌道に乗りました。「『いいとも』に出演すれば一流芸能人」という風潮は芸人のみならずミュージシャンや役者さんにも広がり「いいとも詣で」なんて言われることもあった。特にレギュラーになることは、芸人さん達にとって一種のステイタスでした。


まさに、芸能界において「いいとも」は神社みたいな存在だったのではないかと思うのです。


それは観覧100人とさほど大きくない、しかし手入れの行き届いた神社です。毎日、ジョン・ケージみたいな予定(若干)不調和の祭りが繰り広げられている。神主さんはもちろんお昼のリーダーMr.タモリ
奥にはうやうやしい装飾を施した神殿があり、御神体が眠っている。でもきっと扉を開けるとそこには何にもない。もしくは「そこの坂道全体が御神体なんだよねー」という感じ。


いや多分、何か置かれていたこともあるんだ。でもタモさんは入れても入れても捨てちゃうから周りも諦めたのではないかと。自分で置いたとしても次の日には処分、せっかくのお札も燃えるゴミに出しちゃうみたいな。
こだわらないことに強いこだわりを持つ人です。
思えば「思想を持たないという思想」って最強ですよね。ある意味巧妙とも言える。
吉本隆明さんみたいに「僕は軍国少年だったけど、戦後に間違っていると気が付いてすごく反省した。それでこういう考えになった」みたいなのとどっちが強いんだろうか。


脱線しましたが、あんなに意味がないのに品がある、そういう番組はタモさんにしかできないです。
ひとつの祭祀を失おうとしている私たちは、その終焉をじっくりを見届けつつ、新たな楼閣を探さなくてはならないのかもしれない。恐らくもう何処かにあるんでしょうね。ちっちゃいやつや、陰に隠れているやつの中なんかに。

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妄想全開で大げさな上、相当な後出しですけどどうしても書いておきたかったのです。すいません。
ご静聴どうもありがとうございました。