静寂を待ちながら

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歩くのではない、突貫するのだ(啄木ウォークin小樽)

こんにちわ。雨が降るごとに冷え込みが厳しくなる「THE・秋」な日々、皆様いかがお過ごしでしょうか。わたしは近年まれにみる忙しさと季節の変わり目が重なり、先週は心身ともに絶不調でした。そのせいで親しい人たちにへなへな甘えたり不義理をしたりと、まあまあご迷惑をおかけしてしまいました…。みなさま本当に申し訳ありませんでした(土下座)。ようやく回復しつつあります。というわけで方々へ「謝るべきことはねえが〜!」となまはげのように突進しては頭を下げまくっている今日この頃です。


…………
さてさて、先日、「さっぽろ啄木を愛する会」*1の方からお誘いを受け、「啄木ウォークin小樽」という催しに参加してきました!道内のさまざまな地を訪れている啄木ですが、小樽には1907年9月〜1908年1月の4か月余り滞在。そのゆかりの地をめぐって、彼の足跡に触れようという企画です。20名以上もの参加者が集まり、皆でてくてくと歩きまわってきましたよ。年齢層は高かったものの、小樽のアップダウンをものともせずに動き回る皆さまのエネルギーに、若輩者のわたしは圧倒されっぱなしでした。
簡単ですが、写真とともにレポを。まずは小樽駅前の歌碑。

その後、啄木の勤務していた小樽日報跡(現在は「本間内科」)や足しげく通っていたという劇場(大黒座・寿亭)跡地などをめぐってから小樽公園へ移動。

ここ、緑豊かでとても気持ちよかったです。それから行きつけの、不衛生なので文句の記事を書いたらつぶれてしまった、といういわくつきの床屋跡などを経てお昼ご飯。

こちらは啄木が小樽にきて最初に住んだ場所なのだそう。おいしいお弁当をいただきました。またこちらでは、小樽啄木会前会長の水口忠さまから啄木にまつわる講話を伺いました。さっぽろ会の北里さまとともに、貴重な資料をたくさんご披露くださいました。とても興味深く拝見しましたよ。豆本可愛かったなあ…。それから先生は参加者の皆さんへ、啄木ゆかりの南部せんべいをお土産にくださいました!しっかり堪能しましたよ。ありがとうございました!
午後は水天宮に建立された歌碑を見に。

それからヴェネツィア美術館や小樽文学館を経て解散、という流れでした。朝から結構歩きまわったなあ。おかげでちょっと痩せました。

個人的には、最後の歌碑がとても印象的でした。

「かなしきは小樽の街よ 歌うことなき人人の 聲の荒さよ」(「一握の砂」より)

この「かなしき」には「哀しき」という字が該当すると推察されます。つまり、「かなしい」というよりは「胸に迫る、ぐっとくる」の意で受け取ると、歌が生き生きと力を放ってくるのです。優雅に「歌う」ひまもなく、荒い息を吐きながら、希望を胸に労働する人々への賛歌。
20世紀初頭の小樽は北海道で最も栄えており、シベリアへの貿易港として多大な役割を果たしていたといいます。水天宮は坂と石段を登った高台にあるのですが、歌碑はその社の隅、緑地のかどっこにどっしりと建てられていました。向こう側は崖で、眼下には小樽の港、倉庫街なんかがなだらかな扇状に広がっています。ちょうどこの日はフェリーが止まっていて海は賑やかでした。まさにこの歌をあらわしているかのような風景、それを見下ろす啄木の透徹した、そして愛情あふれるまなざしに、私はすっかり胸打たれました。
啄木は小樽の活気溢れる光景をみて、こんな言葉を残しているそうです。

小樽に来て初めて植民地精神にあふれた男らしい活動をみた。小樽の人は歩くのではない突貫するのである。朝から晩まで突貫する小樽人ほどおそるべきものはない

「初めて見たる小樽」より抜粋*2

何というか、プロレタリアですよね。当時の躍動がとてもよく伝わる素敵な光景でした。蚊に追われながら写真を撮ったりうろちょろした甲斐があったというものだ。

この日お会いした皆さま、会をご紹介くださった北里さま、そして講師の水口先生、ありがとうございました!

*1:HPなどはないそうですので案内のリンクはなし

*2:青空文庫で全文が読めます。「札幌は詩的な、女性的な街」と評しているのも面白いところです。経済の要であった港町とのんびりした内陸の違いをこんな風に感じていたのですね。