静寂を待ちながら

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異界、虹、地獄、そして真実(マトリョーシカ兄さん日記ふたたび)

こんにちは。初雪の便りを聞くたびに「もう冬かよ…」とどんよりしてしまう今日この頃です。今年は秋が短すぎましたよね。寒いせいか周囲には風邪っぴきもおおいですが、わたしはあほの子なのでいたって元気です。この9〜10月は食欲の秋、そして日本酒とワインの秋をたのしく堪能しました。そのツケは出た腹にしっかり刻まれております。しょんぼり。というわけで、最近ダイエットを始めました。20秒筋トレして10秒休みを計8回、4分サーキットトレーニングを週3、の「タバタ式」というやつ。これが結構きついのですよね。ワンクールが終わるとかなり汗だくになるのだ。日頃の運動不足を痛感しています。…まだ一回しかやってないけど。でもずぼらな私にとって、週3でよいというのはかなりの魅力です。それ以上やると体に負担がかかるのですって。まあ大変(嬉。 これにストレッチなどを合わせ、年末までには何とか普通の体型を手に入れたいと思います。ま、どうせ正月を超えたら元の木阿弥なんでしょうけどねー。


…………
先日、「シベリアの禁制論」で書いた、マトリョーシカ兄さん(およそ90歳)とエレガント姉さん(同75歳)にまたお会いすることができました。相変わらず、新婚さんかと思うくらいの仲の良さ。きりりと芯の強い、でも女子のわがままを実にかわいらしく発揮して甘えるエレガントさんと、それを「しょうがないなあ」と苦笑しながらもうれしそうに受け止めるマトリョーシカ兄さん。そのラブラブっぷりにわたしはすっかり当てられてしまいましたよ。隣席の人なんか、どさくさまぎれに馴れ初めとか聞いて騒いでたしな。しかし、年を重ねてもお互いを尊敬し、時にからかったり「もう!」とか小競り合いしたりしつつも大切に想い合う二人を見ていると本当に幸せな気持ちになります。そうそう、その日はこのブログでもよく登場するA先輩(通称ジェントルさん・たしかアラフォー)にもお会いできたのですよ。啄木ウォークの話とか聞いてもらったなあ。いっつも一方的にぺらぺらとしゃべっちゃって、ジェントルさんごめんなさい。まあ、とにもかくにも「おらの好きな人たち大集結!」な日、偶然が重なった楽しい一日だったのでした。
で、マトリョーシカ兄さんがちょっと真剣な話をしていたときに言った一言が忘れられないのです。


「僕は、これまでの90年間、色々なことがあった。いいことも悪いことも。やっぱりこの世は地獄だよ。そして死んでも天国なんてない。死んだら『無』なんだ。」


あんな幸せそうな人からこんな言葉が、とわたしは少々驚いたのでした。
ヒトの「想像力」を駆使したもの、たとえば文学&音楽を中心とする芸術全般、あと宗教*1とか哲学とか、そういうものに近しい人生を送ってきたわたしにとって、「異界」とは気兼ねなく何でも話せる親友みたいなものです。ふだんは心の底に眠っている言葉以前の感情を、のびのびと解放させてくれる、やさしいけれどもある種の冷徹さもはらむあの存在。そこに心を遊ばせることがどれだけ人生を豊かにしてくれるか、わたしは経験的によく知っています。
しかしマトリョーシカ兄さんはいいました。現実は残酷だと。もちろん虹が見えるみたいな日もあるけれど、基本的に人生は辛い。生まれ、命を淡々と、時に必死で育み、生活を営み、やがて老いて死ぬ。その途方もない「生」という力も、最後はただ消えゆくのみだ。「ぼくの未来は火葬場の灰」なんて歌もありましたよね。*2そういうことを忘れるために、古来から人類は苦しみを回避するためのやり方をいくつも生み出してきたのだろう。そして、どこに軸足を置くかが人生を決めるのだとも思う。「異界」か「虹」か「地獄」か。どれがいいとか、悪いとかはない。優先順位の選択こそが生きる醍醐味だ。
あと、この3つの向こうには「真実」という領域もある。すべてによこたわる、ある種の法則とでもいうか。それは苦いけど滋養満点の漢方みたいなものだ。何度も飲んでいるうちに効果が分かってくるけど、何といっても根本から臓腑をゆるがすきつい味なので「…いいっす、今のところ健康なので」っていって笑顔で後ずさりする人がほとんどなのだ。あと、まがいものを売る業者がいやに多いのも特徴。そして、本物の、質の高い良薬を全力で求める人というのは基本的に「外れ者」になる。普段はてきとうにかわしつつ、ときどき効果を実感した人の話を聞いて「へえ」って思う、くらいのスタンスが社会生活をうまーくやっていくコツな気がします。いわゆる生きる知恵ってやつです。
しかしですよ、マトリョーシカ兄さんはこの4つをすべて手中におさめているのです。たぶん、どれが上でどれが下、とかないんだと思う。こういう裏技を見せられると感動します。「シベリアの禁制論」という「異界」を生き、「虹」も「地獄」もあじわい、その上で「真実」を穏やかに見つめている。なんて格好いいのだろう。わたしなんぞには想像もつかないような場面をたくさん見てこられたであろう彼の、その生き様に改めて敬服したのでした。いやあ、おらなんかまだまだひよっこだわ。がんばらなくては。やあっ!と気合いを入れたところで今日の報告をおわらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

*1:一応名誉のために書いておきますが、壺とかお札とか、よくわかんないけどそういうモノを売り買いなぞはしておりませんのでご安心を。ざっくりいうと宗教学が好きなんです。

*2:たま「安心」より