静寂を待ちながら

お笑い、テレビ、ラジオ、読書

シベリアの禁制論

こんにちわ。お盆も過ぎこの頃はすっかり秋の気配です。というか朝晩寒いくらいだ。もう少し夏でもいいんだけどなあ。お調子者の自分としてはさみしい限りです。今年の夏は色々ありましたが、トータルで見ると楽しかったなあ。地元の緑豊かなスポットでくつろいできだり、市内のいろんな場所で行われている札幌国際芸術祭を見てきたりしたのがいい思い出です。余談ですが、教授のお体は大丈夫なのかしら。回復を祈ります。そして次回開催の時にはぜひ試される大地へ来てほしいものです。しかし、反省点としては積読とラジオがほとんど!まったく!消化できなかったことだ。なので秋は読書とラジオです。すでに地層と化した本と録音の山をちょっとずつ崩していくことを、ここに固く誓っておきます。

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さて、本当はお盆にUPしようと思っていたことを、今更ながら書いてみます。
先日90歳のジェントルマンと75歳のレディの素敵なカップル(年齢はだいだいです)と知り合い、話を聞く機会を得ました。知的で鷹揚な、マトリョーシカみたいにつやつやしたお顔のお兄さまとエレガントで気の強いお姉さま。二人はとってもやさしくて、わたしが失礼を承知であれこれ話を聞かせてくださいと突撃してもいやな顔一つせずに受け止めてくださったのだ。なので、つい甘えてじゃんじゃんインタビューしてしまいました。差しさわりがあると何なので、内容は少々脚色しておきますね。

マトリョーシカ兄さんは戦時中は軍隊に属し、シベリアで小さな隊を率いる立場にあったらしい。そこで何度も死に目を見たという。でもね、と彼は語った。
「僕はいつもついているんだ。どういうわけか、すんでのところで救われるんだよ」
「きっとご先祖様が守ってくださっていたのよ。あなたはまだ生きなさいって。この世になくてはならない人だからって」エレガントさんはにっこり笑った。マトリョーシカ兄さんはどうだかねえ、とつぶやいた。
「ただ、追い込まれるとさ、毎度ひらめきがふっと降りてくるんだよ」
「ひらめくって、いつ?頭の中に出てきたりするの?」
「そうだね、沢山あるけど…。象徴的なものを話すとさ。
森の中を何日も彷徨っていて、もう皆の体力も限界、という夜のことさ。僕は一応上の立場だから寝ずの番をしていたんだ。そのとき少しだけうとうとしてしまって。そうしたら夢を見たんだ。まっすぐ歩いていると目の前の道が二股に分かれてね。その、右側だけがぼおっと白く輝くんだ。妙に印象的でね。目が覚めてからもあれはなんだったんだろう、って思っていたの。
次の日、ほそい獣道を警戒しながら隊列を組んで歩いていたら、夢とまったく同じ光景があらわれてさ。僕は『これだ!』って思って、迷わず右へ行け、って命令したんだ。みな本当か?といぶかしがりながらも付いてきてくれて。しばらく行ったら、川があったの。そこには現地の人がいて、ちいさい船もあってさ。向こうへ行けば街、というところだったんだ。やった、と僕は思わず叫んだよ。で、船を管理している人にいくらかお金を渡して、隊の全員を少しずつ向こう岸へ運んでもらったんだ。隊員は100名ちょっと、船は4、5人乗るのがやっと、という代物だったから全員が渡りきった頃には日が落ちていたよ。でも皆で喜びながら街へ出て、やっと食べ物にありつけたというわけさ」
「そうだったの。きっと神様が教えてくれたのね」エレガントさんはうなずきながらいった。わたしはご先祖様と神様、どっちだよと内心でつっこみながらも深く感じ入っていた。生の声はやはり胸を打たれる。


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しかし同時にわたしは心の中で、「共同幻想論!!!」とも叫んでいた。このエピソード、もう完全なる「禁制論(共同幻想論・第1章)」じゃないか。もうろう状態の時は、自分の身体感覚を了承するのに時間がかかるから幻覚を見やすい。それを人はデジャブと錯覚するのだ、ってやつ。まさかリアル禁制論を聞けるとは。不謹慎ながらもちょっと興奮した次第です。

これで終わるとただただ失礼なので、ちょっとは真面目なことも書きます。吉本隆明さんも言っていたが、「撃たれて散る」という戦死って実は少ないそうだ。山中を歩いていて怪我をし、化膿してやがて全身がむしばまれ…、とか、隊からはぐれて道も分からず食料が尽き…、なんていうほうが圧倒的に多いらしい。想像するだけでちょっと身体がおかしくなりそうだ。ここで政治的な主張とかする気はあんまりないけど、自分や、身内や親しい人たちがそういう目に遭う事態がくるのは絶対にいやです。
それから、「自分は守られている」とか、「恵まれている」って考えること自体が生き抜くパワーになるんだな、とも思った。何かを信じることは人にとって生きることそのものと言えるのかもしれない。ベースにあるのはきっと「己」だろう。自分を信じて必死に、でも冷静に直感を研ぎ澄ませて、ってのが大事なのだ。

やはり先達の経験や考え方を聞くのは楽しいし勉強になるなー、というお話でした。