静寂を待ちながら

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じょうねつ

こんにちは。夏ですね。試される大地もまあまあの熱気です。毎日冷えピタ的なシートを首筋とおでこに貼り付けて涼を得ております。基本的にお調子者なので、何事も盛り上がるのは良いことだ!それいけ!と思うのです、たとえそれが気温であったとしても。だから夏ってとにかく素晴らしいっす。それがわたくしの結論であります。あら、どうやらこの人、暑さで脳がやられちゃったみたいですね。どうしましょう。こまりましたが気にせず生きていきたいと思います。

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この頃ぼおっと考えていたことを徒然なるままに。
最近、「情熱的ですね」と言われる機会が多い。まあそりゃそうだろう。*1このブログを見ていただいても分かるように、あつくるしくうざいパーソナリティであることはどうしたって否めないのであります。だってこれまでの人生でも何度も何度も、自分の炎に焼き殺されてきたんだもの。焼け野原はいつも悲しい。何もかもが消えた黒い大地をみると、全身の関節がゆるんではずれちゃったみたいな感覚になる。だから「熱いよね」「愛があるよね」と指摘されるとちょっとぐさっとくるのだ。また周りも自分も灰にしちゃったらどうしよう、ごめんなさいって土下座しそうになる。ただ、この手の言葉はだいたい褒める文脈で伝えられることが多いのも事実です。そういうときは相手のやさしさを「ありがとう」とか言ってちゃっかり受け取ることにしている。すんませんずうずうしくて。

しかし、自分のことはさておき、人の情熱を垣間見るのは大好きなのです。
先日、美人女子から素敵な特装本の著作をお借りして読みました。構想から執筆に至るまで、なんと足掛け5年に渡って取り組んだという全420ページ!の大作です。それは普段の、エレガントな彼女の雰囲気からは想像もつかないようなダイナミックな世界観で描かれた、素敵なファンタジーでした。熱かった…。書き上げるまでにそこへ向けられたパッションと、積み重ねたであろう地道な日々を想像すると、思わずほうっとため息が出てしまう。素直にすごいなあ、と思うし、情熱的ですね、素晴らしいですねってぱちぱち拍手を送りたくなる。

何かを好きになるとき、わたしはいつでも激しく切実だ。気軽に、なんとなく愛でるということがどうしても出来ない。まるで赤ん坊がはじめて世界の空気を吸うときのように、必死に鼻を、口を広げて吸い込み、びいびい泣く、っていうのがいつものパターンだ。うーん、実に恥ずかしい。もっと理知的で、何事も客観的に見られる大人になりたかったな…。こんな風に(勝手に)育っちまってお母さんごめんなさい。そして、どこかへあほみたいに気持ちを注ぐということは、違う方面がおろそかになることとほぼイコールでもある。情熱の反対側にはかならず、怠惰でいい加減な側面が生まれるのだ。それはやっぱりださいし情けない。

まあ、そうはいってもこれからもきっと、わたしは盛大に偏りながら、様々な事柄へ情熱を傾けていくのだろう。その度に「痛いね、この人」などと自分に爆笑したり恥じたりと大騒ぎするに違いない。でも、この頃はすこしだけ、そういうところを誇ってもよいのかな、なんて思えるようにもなりました。いびつでもいっか、しゃーないかって。ラストに急な報告を放り込んでなんだか自分でもよく分かんないですけど、本日はこの辺で締めさせていただきます。ご静聴どうもありがとうございました。

*1:気になる方は前エントリと前々エントリをご覧ください