静寂を待ちながら

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本当のわたし その4 わたしのすがた、わたしの身体

その1では分人主義、
その2ではこころの在処について、
その3ではヒトのこころに心情と理性が生まれる過程について触れた。


いよいよ本題へ。
「分人主義」、
つまり「ヒトの心はコミュニケーションによってのみ作られている」というのは本当なのか。


それから、
自殺志願者への救いとしてどこまで機能するのか。


…………


その3で触れたように、ヒトのこころである「心情と理性」のありかは、
それぞれ「内臓の動き」と「感覚器官のはたらき」だ。


心情は、植物的器官と動物的器官のあいだに、
理性は、動物的器官と外的要因のはざまで生まれる。



「分人」は、心情では対処できない側面を整理しようという試みだ。
すなわち「理性」のありか、
「動物的器官」と「外的要因」の部分に存在するもの。


平野さんは「外的要因」をコミュニケーションの問題としてまとめたが、
これは対人関係だけではなく、居住地や立場、ジェンダーなど広く「環境」と捉えてもよいだろう。


外的要因というのは、選択可能なようで実は選べない。
希望の場所に就職できたからといって、そこが居心地良いかどうかは分からない。
自分と相性のよくない上司に悩まされる可能性もあるわけで。


それでも、意識をコントロールしていけば、
要は「理性」によって分人の構成比率を変化させることで、
苦手な人のいる場所でもうまくなじめるかもしれない、ということだ。
距離を取ってその人と過ごす「分人」比率を下げたり、思い切って飲みに行って懐に飛び込み、対処する「分人」を変えたり。


そうやって絶え間ない自己形成を、周囲との関係によって調整していくことを
俗に「大人になる」ともいう。大事なことだ。


ただ、ここまで考えてみて、
わたしは、コミュニケーションだけがヒトのこころを規定するものではないという考えにいきついている。
それはあくまで、「外的要因」と「動物性器官」という、割合に進化の後半でつくられた箇所で行われているものである。
つまり理性が未成熟であれば、うまく使いこなせない可能性があるということだ。



また、その手前、もっと言えば根幹にある、
「植物的器官」についてよく味わうことも、
やわらかな救いになるのでは、とも思う。

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