静寂を待ちながら

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言葉の向こうには

こんにちわ。夏もそろそろ終わりますね。サンダル焼けした足の甲を見つめて、なんとも言えない気分になっている今日この頃です。あんなに日焼け止めやったのな…。

Twitterに載せようかなー、と思ったくらいの、雑記です。

芥川賞の全てのようなもの

過去の芥川賞直木賞の選評をまとめたサイト。文学好きなので良く活用しています。

で、思ったこと。
現代よりも過去の選者の方が、新人に対して大らかなんです。時代性なのかなあ。
今日たまたま、庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」(1969)を読み終えたのです。
で、過去の選評を見ていて気がつきました。
言葉の向こうにいる、選者たちの表情がまるで違う。「褒めてはいるが評価していない」のと、「貶しているが期待している」のでは言葉は同じでも明らかにニュアンスが異なる。

勿論、先達の厳しい視線は必須。そして、過去の新人の方が、備えている武器が多かったのもなんとなく分かった。デビューの門戸が広がった今は、褒賞の段階ではまだ文学者と言えない人も少なくないのだろう。
でも、人を育てるって、文学を活性化させるって、どういう事なんだろう、と考え込んでしまった。

敬愛する野村克也さんは「ぼくは二流を一流に育てることは出来るが、超一流は育てられない」と仰る。
超一流は放っておいても勝手に伸びるからいいが(例外もあるけど)、育てるべき一流を増やす事があらゆるジャンルの活性化につながる。
温かい選評を、って事ではなくて、個人プレイヤーたる小説家はどう生きるべきかという話。


…まあ、「じゃあお前は人を評せるほど立派な生き方出来てるのかよ」って言われたらスライディング土下座するしかないので、ここらで口を噤んでおきます。ご静聴ありがとうございました。