静寂を待ちながら

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わたしたちの寛容な無意識 (Eテレ「100分de日本人論」)

あけましておめでとうございます。久々の長い休みを前にわたくし、年末は「義理を果たした後はあそぶぞう、くるったようにあそんでやる」などと浮かれておりました。しかし結局は、読書とテレビに明け暮れる、足も萎え気味の引きこもり正月をおくっております。そこらの病人よりも安静に過ごしているので、来週からちゃんと社会復帰できるのか心配です。しかしこれが俺にとっての至福。なんてエコなんでしょう。というわけで、2015年は「地球にやさしい」をモットーに、息をひそめて過ごしていきたいと思います。相変わらずの支離滅裂ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さてさて、昨夜(2015年1月2日)放送のNHK Eテレ100分de日本人論」、むちゃくちゃ面白かったです。

(画像は公式サイトより)
「100分de名著」のスペシャルバージョン。お正月にちなんだ「日本人論」は、図らずもすべての論者が「日本人の無意識」にせまりました。
紹介された本はこちら。

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

松岡正剛さんの紹介。「粋」とは、江戸の花街ではぐくまれた芸者哲学である。支柱は「媚態・意気地・諦め」。
死者の書・口ぶえ (岩波文庫)

死者の書・口ぶえ (岩波文庫)

赤坂真理さんの紹介。われわれは死者(霊魂)や自然、要は「生命」以外のモノにたいしての境界があいまいである。むしろそれらを「請う(恋う)」心をもち、あたかも生命らしく扱うという独特の感受性がある。
中空構造日本の深層 (中公文庫)

中空構造日本の深層 (中公文庫)

斉藤環さんの紹介。空気・ムードに流されがちな国民性の原点は「古事記」の三神(必ず真ん中に意味のない神様がいる)に見ることができる。古代から連綿と続く我が国独特の精神性。心の中心は「空(くう)」である。この感覚を意識しておくことが肝要。
日本的霊性 (岩波文庫)

日本的霊性 (岩波文庫)

中沢新一さんの紹介。世界の物象・事象に正誤の判断やむやみな色付けをせず、そのままをうけとる「無分別智」こそが日本人の知性。分別の向こう側に無分別智が働いている状態がもっとも良質な知のありかたではないか。

ざっくりまとめましたが、日本人の、古代から育まれてきた精神構造が明快にあぶりだされたすばらしい内容でした。
われわれの無意識は「空」で、それって世界的に見て特異なのね。これって原住民とか密教的な知性に近いような気がする。THEアジア、なね。ただ、原初的な感覚を失わないまま経済大国になったのがこの国のおもしろいところです。芸術面なんかではすごく生きそうだけど、日常のコミュニケーションで海外の人たちと交わる際につっかかるのは、きっとその部分が障壁になっているんだろうな。
個人的にいちばん卑近でわかりやすかったのは斉藤環さんのターン。マイルドヤンキーとかよさこいソーランとか、現代の事象と古代の話をつなぎ合わせて語ってくださったのがとてもおもしろかった。あと、どの場面でも的確な補足を加える中沢さん、さすがだわ、と思いましたよ。理解する際にだいぶ助けられました。
で、楽しく見ていたのですけど、見終わった後で「うーん、ものたりない」とも思ったのですよ。まだ入り口じゃねえか!こっから掘り下げてえずら!あと2時間おねげえしますだ!、って。えっと、こういう話大好きだから、もっと聞きたかったのです。わがままですいません。あと松岡正剛さんの紫煙が見れなかったのもちょっと残念。まあNHKからしょうがないのかなー。ウッチャンの声で「NHKなんで!」って自分に言いきかせながら*1視聴しておりました。
なので、その後、自分なりに考察をしてみました。
中空構造のところですこしだけ触れていたけれど、おそらくこの感受性の根は「極東の島国」であること。多民族が逃げ場のない島国へ流入し、ひしめきあって暮らす中で身につけた知恵。対立すらできない環境だったのだ。和合して生きること、そして四季や自然の美しさなどが複雑にからみあって生まれた「中空構造」や「無分別智」。
ただ、わたしは異民族がであい、異和を感じた瞬間にたちあいたい、と思った。異民族がであい、習俗の違いに触れあったときってお互いびっくりしただろう。で、そこから「まあまあ」と受容し許しあっていく過程ってどんなだっただろうか。共存にいたるまでの流れ、すなわち「0からはじまるのではなく、0に至るまでの過程(岡潔)」という部分に興味がある。その心の動きはすごく切実って気がする。大陸を駆け海を渡り、ようやく逃げてきたこの島で、もう滅ぼしあうのはいやだ、っていう感じかなあ。妄想だけど。こうやって育まれた、渡来人(物)に寛容だけど、己を失わない強さと頑固さっておもしろい。ただ、現代社会に生きていて、自分が島国で生活しているって意識することなどほとんどないのだが、実はすごく影響されているんだと思うとすこしこわいなあ。まあ、古代の人はもっと強烈に感じていたのだろうし、だからこそ、時空を超えて残った感性なんだろうな。
話は飛ぶが、先日森田真生さんと三島邦弘さんのトークライブで聞いた「欧米は、ローマ帝国のような『ほろびない文化』を大切にする。日本は災害などを越えて『よみがえる』ものが残る」という言葉を思い出した。石の文化と木の文化の差異。不安定な環境が生む美。だから明示より暗示を尊ぶのかな。ノーパンしゃぶしゃぶなんて、あっちの人は思いつかないだろうしな(品がなくてすいません)。あと、たたかうものが人間より、自然だったことも大きいのかもしれない。制するのではなく受け入れるという知恵。実に土着民的だ。この感覚を失わずに現代を生き抜いているこの国は不思議だし、それを忘れてグローバルとかいってるのは片手落ちな気もします。うちらってそっちと文化若干違うんっすよ、夜露死苦!、って意識もってたほうが何かとやりやすそうだ。…斉藤さんと中沢さんは、このことをもっと知的で洗練された語り口でおっしゃっておりました。

あとはおまけ。文学との関連性にもいくつか気がついたので覚書を。自然やモノとの「境界の曖昧」は、たとえば「古池や 蛙飛び込む 水の音」は、実はみずからが池になりきって蛙を迎え入れているのだ…、という芭蕉の世界観にも通じる。あとケンカがおこりそうになると「まあまあ…、上がって茶でも飲んでけ」っていう(by司会・伊集院光さん)対立を避けるはたらきとしての「中空構造」は、枕詞形式とおんなじだ。「たらちね」も「母」も「お母さん」って意味だけど、元々は異民族の同義語だったらしい。片方を排除するのではなく、両方ともそのまま残しちゃえ、そしたら双方とも納得だべな、っていうところに端を発しているそうな。まあ、文学と国民性が離れているわけがないので、いろいろ思いだすのは当たり前っちゃ当たり前か。

また、収録は松岡正剛さんのご自宅で行われたそうです。すごく渋くて素敵だった。憧れの「天井まで本棚書斎(木目調)」!願わくばあそこに住みたいです。
出演者の皆さま、司会の伊集院光さんと武内陶子アナ、そしてスタッフの皆さま、こんなに素敵な番組を本当にありがとうございました!今後もスペシャル・通常放送ともに楽しみにしております。やー、正月からテンションあがったー。

*1:LIFE!」コント『NHKなんで!』より