静寂を待ちながら

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第7回本のカフェ

こんにちは。最近やたら身辺がさわがしく、若干へたっております。だれかわたしをいやしてください…、などと虚空につぶやいては、「いやいや、河合隼雄さんが『癒しは卑しい』って言ってたぞ。*1しっかりせねば」と背を起こすみたいな日々です。うーん、大体6月って元気なんだけどなー。まあいいのです、人生なんて調子悪くて当たり前。贅沢は言いません、生涯で10日間くらい絶好調の日があれば御の字です。あと美味しいご飯と好きなだけ本を読める環境と楽器をいつでも弾ける防音室と時々顔を出してはわいわい騒げる酒場と才能と5億円。

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さて、先日「第7回本のカフェ」へ参加させていただきました!主宰の木村さんの詳細レポはこちらです。前回に引き続き、くすみ書房さんの「ソクラテスのカフェ」で行われました。今回は司会を兼ねた木村さんも含む紹介者が3名、オブザーバーが4名の計7名。とってもアットホームで、大変に居心地の良い会でした。そうそう、はじめに、毎回自己紹介タイムがあるのですが、今回は木村さんが、『御名前のほかに「よく行く場所」を教えてくださいね』という素敵な提案を!あれ、楽しかったなあ。行きつけのカフェや街でお気に入りのエリアなど、それぞれのパーソナリティや生活が垣間見える、温かいひとときになりましたよね。そんな中でわたくし、昼間っから堂々と「飲み屋ならどこでも」と答え、みなさまを苦笑させてしまいました。今更言い訳がましいですが、人生のどん底期に、ある美人女将の飲み屋に通い詰めて救われたという思い出があるのですよ…。みんな、私のことは嫌いになっても酒場のことは嫌いにならないでください!

では気を取り直して、はじめの紹介本はこちらです。

計画と無計画のあいだ---「自由が丘のほがらかな出版社」の話

計画と無計画のあいだ---「自由が丘のほがらかな出版社」の話

出版社を起業した若者の熱い奮闘記です。業界の常識にとらわれず、七転八倒しつつもポジティブに進んでいくさまを、名物社員などを紹介しつつ軽妙に描いた自伝的な読み物。「計画」と「無計画」、どちらかというと無計画に引っ張られがちな三島さんのようですが、その両方を行き来しつつ社会の荒波を泳いでいく半生には、凄味と笑いの両方がありました。自由とは、同時に「苦手」から逃げずに(三島さん的には「計画」でしょうか)生きることでもあるのだな、なんて思いました。また、ミシマ社の作品をいくつか読まれた紹介者さんからは、「若干、編集力の甘さを感じた」というコメントも。ほとんど著者の裁量だけで作っているみたいな作品もあるな、と感じたそうです。作家と編集者は、たとえばタレントと敏腕マネージャーの関係に似ていて、資質のある人を見極め、その表現を精査して時にはアドバイスを送り、的確に売り出すことが後者の力であります。漫画家さんの卵が(「鯉のぼり」のメロディで)「♪ギャラよりほしい編集者〜」なんて歌うのを聞いたことも。やはり良い本には名編集者が不可欠ですよね。ミシマ社はまだまだこれからの出版社さんだと思うので、「生え抜きの作家を育てる」的な事柄は、今後の課題といったところなのでしょうか。

次はこちら。

マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)

マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)

これは私が紹介させていただきました。2012年にceroの出した同名アルバムを引き合いに出し、「都市と身体」をテーマに話を。1920年代のNYに翻弄された男と、2010年代の東京っ子たちが見た震災後の風景。花が咲き、散る様子を真逆の立ち位置から経験した彼らは、見事なまでに反対の行動を取りました。両方の時代には「享楽と崩壊」が共通していますが、よそ者だったフィッツジェラルドはそれに踊らされ、地元っ子のceroは焼け野原に希望を見た。その差が面白いな、と思います。フィッツジェラルドの物語は暴力的な喜怒哀楽で編まれ、退廃的な美に包まれている。失意のもと去る彼に対し、冷静に街を眺め、「ダンスを止めるな」と繰り返し歌うcero。それはコンクリートジャングルのサイバーな感覚と、その下に眠る土の香りや、大地や身体が持つ原初的な記憶と対比できる気がしました。個人的にはどちらも堪能し尽くたい、脳や五感も、感情以前の身体である内官も、どちらも充実させて生きたい、なんて思います。…という話だったのですが、あんまりうまく話せずちょっと反省しています。整理が甘かったっす。

最後はこちら。

「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義 (角川文庫)

「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義 (角川文庫)

サブカル評論家として高名な著者から見た戦後日本史、「永田洋子」という女性を通じた昭和女性史、そして消費社会について。紹介者さんは「1972年」を軸に話を進めていきました。吉本隆明さんが左派から「転向」し、第3次産業従事者が急増。そして山梨シルクセンターが「鉛筆にかわいいキャラつけたら売れる」、と社名をサンリオへ変更した年です。あと、札幌オリンピックが開催された年でもあります。*2話を聞いていると、こっちの方がマイロストシティしてるって気もしました。消費って、お金って何なのでしょう。特に、文化がそれに密接に結びついていくさまについて考えると、肋骨と内臓のあいだ辺りがざわざわしてきます。また、紹介者さんは、凄惨な事件の首謀者である永田洋子が、獄中で少女漫画的な乙女チックな絵を描いていた事にも言及。殺人犯の絵にはとても見えないらしい。それは、「この世代の少女らをくくる言葉がない」ことと共時しているのではないか、と。人はどうしても生きる時代に振り回される。そして必ず、そこからこぼれ落ちるものがある。そんな話でした。熱い語りぶりにすっかり引き込まれました。吉本さんの「マス・イメージ論」と「ハイ・イメージ論」読み直さなきゃ。


一通りの紹介が終わると、展示の紹介やアート作品を愛でるアートルームと歓談タイムへ。ここで話を聞くのがいつもとっても楽しみなのです。ひとつの作品・話題からどんどん会話が膨らむ。そのどれもが実に文化的です。だいたいうかれすぎて調子にのってしまいます。文学・漫画と時代との関わり方や、翻訳文学の現状についての話なんかが興味深かったなあ。そして2次会ではぺらぺらとしゃべりすぎて少し反省しています。学習能力低い…。
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余談ですが「本のカフェ」を、私は港町のビストロみたいな存在だと感じています。内外からさまざまな人がおとずれる気さくなレストラン。そして主宰の木村さんは、マスターでもシェフでもなく「よく見かける常連客」みたいな雰囲気を醸し出してくださるんです。カウンターでにこにことご飯をほおばり、「今日のオススメはこれらしいよ〜」なんて周りに話しかけたり、時にはお皿をシェアし合ったり。で、教えてもらった料理を注文し、運んできた店員さんに「あのお客さん、良い人ですよね」なんて何気なく言うと、「…、実は、あの方、うちのオーナーなんですよ」って聞かされてびっくりしちゃうみたいな。フラットさを保ちつつも、熱を持って会を引っ張っていって下さる姿勢に、改めて感謝を捧げます。
そして、「しばらく旅行へいくので休みます」なんて張り紙を出す時があったとしても、「あそこに行けばうまい飯が食える」という希望の場を、のんびりと続けていってほしいな、とも思っております。


そうそう、次回は偉大なる街の本屋さん・「くすみ書房」を探訪するという企画も行われるそうですよ。わたしも行きます。みんなやさしくしてね!

*1:出典はうろ覚えですが、よしもとばななさんとの共著「なるほどの対話」だったかと。

*2:余談ですが、オリンピック事務局を改装して設立された「札幌市立真駒内緑小学校」は2012年に閉校したそうです、選手村を団地にした「五輪団地」に住む若い家族の子どもらが通い、一時は1000人超の児童を有したマンモス校でありました。時代の流れを痛切に感じますよね。