静寂を待ちながら

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〈原点〉 おまけ

風立ちぬ」、何回見ても面白い。っていうか自分が参考資料を読んでからまた観に行くと、全然感想が変わるのが面白いです。そういう作り方なんですね。すっかり宮崎駿さんの分厚い手のひらの上で転がされてます。

そしてここから、完全なる「言いたい放題」の感想に突入します。

…………
まずお詫び。
プロフェッショナル 仕事の流儀 特別編」を観て、致命的な聴音ミスに気が付き、その2の該当箇所を削除しました。しれっと削ろうかと思ったけど、反省と自戒のため残しておきます。思い込みって怖い…。


「プロフェッショナル」、面白かったです。
カルチャーガジェットに立ちこめる「死の影」は、きっと「老境からだろうなー、夢の世界とかもおじいちゃん的な描き方だし」、と思っていて、もちろんそれも含まれているだろうけど、この番組を見て、
「わ、宮崎さん、いっぺん死んだ気になったんだ!生まれ変わった気持ちで新ジャンルに挑戦したんだ!」と気付いて感動しました。72歳だよ。かっけー。自分もあんな風に歳を取りたいです。
あと、この作品って、ceroがいうところの「フィクションのあり方を変えてもいいだろ?」の宮さんバージョンなんだっていうのも分かった。リアリティとフィクションの間の揺らぎ。


話はそれるが、豪快なファンタジーはもう難しい時代なのだろうか。正直若干もやもやする。結論が出るまで考えたいからここでは保留にしておきます。


この映画は、ひとことで言うと「堀越二郎を通して描いた『宮崎駿』の私小説」だ。
で、「文学的価値」っていう観点から見ると、はっきり言って質は高くない。いやもちろん、「素晴らしい作品」という感想に全然、変わりはないし、こんだけ褒めておいていまさらですけど。
ただ、カルチャーガジェットによる比喩が、心情を的確に突く箇所が少ないのはどうしても否めない。心理描写をごまかしている役割の方が強い。恐らく理由のひとつには、どっかに、ガジェットを「ベタ」でまとめなくては、という思いがあるせいかも。そうじゃなきゃ伝わんないかも、って心配しているのかなあ。村上春樹くらいぶっ飛んだ、しぶーいガジェットを置いたって全然いいと思う。宮さんの嗜好がベタなんだろうか。まあ、だからこそジブリが、ここまでのでっかいスタジオになったのかもしれません。
あとは、良くも悪くも道楽的で、ガジェットもそうだけど、飛行機やら電車やらの乗り物など、好きなものを詰め込み過ぎて他が粗くなったってのもある。でも乗り物は全部格好よかったなあ。サントラのメインテーマのタイトルは「旅路」ですが、乗り物と人生のふたつにかかっているのに、だいぶ経ってから気が付いた。
そして何と言っても、根っこに据えられた「ナルシシズム」ってのは2次的感情であるゆえ、中心になるとどうしても、芯を食った表現から離れざるを得ないってのが大きいのであります。要は掘り下げが浅いのだ。いつだって人の胸を深くえぐるのは地獄の底の血肉なのだよ。


だからつい、書いちゃったんですよね。「泣いている子どもが宮さんの深層にいるのに」って。二郎の必死さとそこがリンクしてほしかったなー。いや、してないこともないけど、底には到達してない。まあ、単に私が暗いもの好きなだけなのかもな…。


それと、「ひこうき雲」はとても素敵で好きな曲だけど、この作品のエンディングにはふさわしくない。これは文芸作品じゃなくて、ジブリアニメですよーっていう、エクスキューズにしか、蛇足にしか聞こえなかった。いいじゃん、テーマ曲の「旅路」を最後まで流せば! 久石讓の劇判がものすごくいいんだからー、って思いながら聞いていた。


でも、文句をいくら言ったって、素晴らしい作品である事実に変わりはないのだ。だってこんなの誰にも作れないよ。
言葉はものすごく悪いですが、年寄りが残り時間を気にしつつも、人生かけて本気で何かを言うと、やっぱりすごい迫力。それは誰にでもできることじゃない、どうしたって今までの足跡がものを言う。それは吉本隆明さんの晩年にも強く思ったことだ。「あまちゃん」のアキじゃないけど、「通俗的なくらいなんだよ、楽しいんだから我慢しろよ」ってことです。


あとは、二郎さんのゼロ戦関係の本をあれこれ読んで、「機械萌え」の世界が少しだけ理解出来たのも収穫。あれはもう、人間の概念が飛んでるんですね。そりゃ興奮するはずだ。


これで、現時点での感想は全部言い尽しました!すっきり!
ご静聴ありがとうございました。