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〈原点〉その2 宮崎駿「風立ちぬ」〜〈旅路〉の果てに

前回の続きです。
これまで「アニメは子どものもの」と言い切り、作品を発表してきた宮崎駿さんですが、最新作「風立ちぬ」では全く違う切り口を提示されました。
堀越二郎は、宮崎駿さんそのものです。「己」を、ためらいながらも表出したのです。
「飛行機は、美しく呪われた夢」という映画のテーマフレーズは、宮崎さんにおいては「アニメ」です。もっといえば、「人生」。


「友よ、拍手を。喜劇は終わった」とはベートーヴェンの辞世の句ですが、
宮崎さんは「僕の人生は、美しく呪われた夢だったのだ」と言うつもりなのです。


この映画の中で、彼はそれを何度も繰り返します。
「僕は、魔の山の住人だ」と。我が身の全てをアニメに捧げてきたという自負が、その声を大きくしています。


…………


一般社会から隔離された「魔の山」で、無我夢中に作ってきた作品群。
宮崎さんはそこで、「この山に居続けるために、僕がどれだけの努力を積み重ねきたか、どれだけのことを犠牲にしてきたのか、君たちには分かるか?」とニヒルに微笑んでいます。心身を何度も限界にさらして。
そうまでしても、降りたくない山なのです。

犠牲にされたのは、おそらく家族や生活です。
実際の宮崎さんは、息子さんにとっては決して良い父親ではなかったといいます。
映画の中でも、二郎は、菜穂子や妹の加代へ対して、時おり甘えともいえる傲慢さを見せています。


ただ、菜穂子はおそらくダブルミーニングな存在です。「恋」という魔の山にいた日々をも表してもいる。
関東大震災で出会い、軽井沢…もとい「魔の山」で結ばれ、病を押して結婚、そして別れ。出会いからずっと死の影に見守られていた二郎と菜穂子の愛の日々は、いびつで危うく、とても官能的でした。


宮崎さんは「魔の山」の功罪についても、きちんと描いています。
映画内の二郎は教養を身に付けるのは当たり前、という家柄に生まれています。その「育ち」は、恐らく宮崎さんご自身の出自とも重なっているでしょう。
ただ、それはあくまで「極東の貧困国・日本」の中での話です。当時、その壁はもちろん飛行機開発にも影響を与えていました。ゼロ戦開発から戦争に向けての流れを調べると、知識人たちは皆、これが無謀な闘いと知りつつも逃れられなかった、ということがよく分かります。


二郎は、「美しい飛行機を作りたい」という己の夢を叶えるために、戦闘機開発に携わります。それが、「勝ち目のない戦争への加担」だと知っていたにもかかわらずです。
彼はまた、恋人の父親から「良い青年だな」という最大の賛辞を引き出すような、清廉な人柄の持ち主として評価を得ていました。
でも、自分が全然清らかでないことは、きっと二郎自身が一番よく分かっていたと思われます。


その矛盾、内心にうずまく黒い思惑は、恐らく宮崎さんも、生涯持ち続けているものです。


あふれんばかりに引用された、数々の「カルチャーガジェット」は、これらを隠す役割を果たしています。
己の周りにうずたかく積み上げたガジェットもまた、「魔の山」と呼べるわけです。
要するに、膨大な資料と経験に埋もれながら「僕の、『宮崎駿』の人生は、美しく呪われた夢なんだ」と、叫んでいるのです。


…………


この「声高に」、という点がポイントだと思います。
それは、きっと「魔の山」の住人であることと、本質的な自信のなさがリンクしているからです。


ここからは私の推測です。
普通、自分の人生を「美しく呪われた夢」とは言えないですよ。強烈なナルシシズムを感じます。裏を返せば、人生のどこかに他人には言えない重大な欠落を抱えているってことです。いつの世も、人はだいたいそんな理由で格好つけるものです。


それが何なのか、はっきりと明示されていません。恐らく幼少期のトラウマに端を発している。
とにもかくにも、暗黒の「欠落」から目をそむけるために、彼は自分の周りにうずたかい、そして時折激しく噴火する「魔の山」を作り上げました。しかし、火口から内部へ降りて行くと、一番底のところには、今でも恐怖と不安で泣きじゃくる少年が眠っているんです。ナルシシズムの向こう側。


…………


私がそういう考えに至ったのは、実は久石讓さんのサントラがきっかけでした。
メインテーマ「旅路」は、冒頭の、素朴なドイツ民謡を思わせるモチーフが軸になっています。


耳コピーして書き起こしてみました。休符は若干自信ないけど、音とリズムはあっているはず…。


揺らぎながら空へ昇っていく、G dur(「ソ」が主音のト長調)の素敵なメロディです。
ストーリーが進み、二郎の生活や内心に大きな変化が訪れると、曲はどんどん転調します。


そしてラストシーン、夢の場面で菜穂子に再会したところで、再び元のG dur(ソ)に戻りました。


魔の山を作り上げながらも「もっと宝を」、と自身の内部をどんどん掘り起こしてきた宮崎さん。結果、現れたのは、幼少期の自分、すなわち恐怖で泣きじゃくっていた「駿少年の夢」だったのです。巡り巡って、<原点>に戻ったのであります。
もっといえば、このモチーフはおそらく「Das gibt's nur einmal」の出だしから取られている。

「ただ一度だけ、夢かもしれない。明日にはもう消え去っているかもしれない。でも花の盛りはただ一度だけ。」


幼き日の悲しみ、そして夢が長い人生を生き抜く力になった。振り返れば刹那だった、「花の盛り」こと我が生涯。
72年の<旅路>の原点と現在が、静かに繋がった126分でした。


ちなみに、宮崎さんの父は航空会社の役員、母は結核を患っていたとのこと。もうこの映画そのままではないですか。


…………

以上が、私の感じたことです。
ま、一言でいえば「すごい面白かった」なんですけどね。


長文に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。