静寂を待ちながら

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内から外へ、外から内へ 3 バカリズムの五感

その1その2では、広末涼子さんの「スター性」の根について話しました。アイドルに、そして女優になれたことに対する誇りと各種バッシングを乗り越えてついた自信。


お芝居をするとき、彼女はおそらく、意識的か無意識かは分からないですが
「人生経験」の引き出しを開けて役柄を生きるヒントを探していると思われます。
「夢を叶えた」「過去を乗り越えた」という生き様が、わりと直接的に「表現」することにつながっている。だからこそ、周囲の評価やプレッシャーに気持ちが向きすぎたとき、「一旦休む」という道を選んだのではないでしょうか。強烈な「わたし」を持っている主役級の役者や、個性的な役柄を演じる機会の多い人などに見られるあり方です。


それとは全くの逆ルートで、表現をしている人もたくさんいます。
すぐに思い出したのは、バカリズムこと升野英知さんです。


…………
2010年11月27日、バカリズム出演「トップランナー」(リンクはお笑いナタリーの記事、HPは閉鎖の模様)は伝説の回でした。今でも時折見返します。

なかでも、「公開ネタ作成」の場面は大変に印象的でした。
番組名「トップランナー」から何か発想してもらえませんか…、という要望に応え、ホワイトボードの前に立った升野さん。

トップランナー』から発想してネタの種を作る
1 文字の形から連想
トップランナーの文字列を「立体」に見立てて、崩れ落ちているさまを描く。
「地面にあったら立たないなあ」「『NHK』は立つなあ」


2 言葉を分解
トップランナーは「トップ」の「ランナー」 2つの言葉ががくっついて出来たものを探す

テレビの局
野(の)で球(たま)
アドマチックな天国
小野の妹子

3 言葉の響き(韻を踏む)
トップランナー
タップダンサー
ロックシンガー 


4 意味(トップ)から連想
トップ→1位→金メダル
    2位→銀メダル


    126位→毛(もう)メダル


5 意味(ランナー)から連想
ランナーズハイ があるなら
ランナーズロウ があったら面白いなあ とか

用意パン! が普通だけど、
用意サクッ!(お菓子をかじる音)はどうだろう とか
用意パキッ!(膝の骨が鳴る音) は 面白いかな、など

たったひとつの単語からこれだけの発想。圧巻です。司会の箭内さんは「脳みその滑舌がいい人」と賞賛。
また、「何が発想のベースになっているか」についても、きちんと語ってくれていました。

箭内
「意味を持たない、というかね。意味を探しても探してもなかなかそこに辿り着けない、そういうコントばかりやってらっしゃるというか…、
これはなぜですか?」


升野
「そうですね、意味がないものがすごい好きというか、無駄なものというか…。
何か、特にメッセージ性がないんですよ、僕、大体。

言いたいことが特にないんですよ。お客さんに伝えたいこととか。別にただ笑ってもらえればいいだけなんで、もう、終わった後に何にも残らないもの作ってやろう、みたいな。

『面白かった』っていう感想以外残らないようなもの、それがやっぱり理想ですよね。」


箭内
「ある種、現代美術ですよね。」


升野
「本当ですか?現代美術ってそうなんですか?

(格好付けて)やっぱ現代美術みたいな感じでね…」 一同笑い

彼の発想は、意味を解体していく作業から生まれていたのですね。
わたしはこれを見たときに直感的にですが、「ああ、升野さんは『五感』でネタを作っているんだ。」と思いました。


どういうことかというと、前にも当ブログで紹介した↓

ヒトのからだ―生物史的考察

ヒトのからだ―生物史的考察


こちらからざっくりと引用・説明します。


ヒトの身体を形成しているものは全て「植物的器官」と「動物的器官」に分かれます。植物的器官は「黙っていても動くもの」で心臓や肺、血管、胃腸、生殖器などの内臓、「動物的器官」は「意志を持って動かすもの」で、あらゆる筋肉や神経、感覚器、脳などです。
基本的に、人間は「植物的器官」を「動物的器官」が支配することによって成り立っています。
進化の過程では最も古く、無くなると生命にかかわる植物的器官は、外的な刺激を受けて動く「動物的器官」から影響を与えられます。


例えば、どこかからカレーの匂いがする…、と
鼻がひくつき、目は「この匂いはどこから?」と場所を特定しようと動きます。それに合わせて首や胴体も動くでしょう。そして「お腹すいた」という気分が想起されたなら胃が鳴り、血流も早くなります。
「外から内へ」、身体は反応する訳です。


逆に、「お腹一杯だわ」となると血は大体胃腸に集まりますから、自然と筋肉の動きは鈍くなりぼおっとしてきます。
これが「内から外へ」の反応です。


比較すると分かりやすいのですが、
広末さんはどんな外的影響も全て植物的器官、つまり「わたし」の世界に収斂してから発信します。
升野さんは、外的影響を自分の中にあまり取り込もうとしていません。意味を解体するために、自分や世間の常識を捨てて「外」のまま、あるいは他の種類の「外」と組み合わせて扱おうとします。ほとんど「わたし」がないのです。
外界とヒトをつなぐ、直接的な器官は「五感」です。特に彼はお笑いネタという性質上、視覚と聴覚を強く発達させているように思われます。「地理バカ先生」では、触覚も少し入っているかもしれませんね。


…………
同番組で、升野さんは「自分は背が低いから幼少期はよくからかわれ、それが嫌でケンカばっかりしていた」と話していました。いとうせいこうさんも「升野の発想は、たとえば『ゆるキャラってなんだよ』みたいな否定脳なんだろうね*1」と語っています。
すなわち原点はハングリー精神で、もちろんそこに「おれ」があることは間違いないです。


しかし何かを表現する際に、
広末さんは「内」
升野さんは「外」
に軸足をおいています。誤解されるかもしれませんが、どちらがいいとか悪いとか、そういう話ではないです。どっちもありだと思うし。


ただ何かを見聞きするときに、「この人はどっち派かな」と考えることは結構便利な指針になるな、と思います。


内から外へ、外から内へ。
あなたはどちらがお好みでしょうか。
ちなみに私は両方のバランスが取れたタイプがいいです。新井浩文さんが「いい役者の条件」として「台本(ホン)が読める・スクリーン映えする・生き様が反映する」と語っていました*2。そういうのがいいです。


何だか大変にずるい結論で恐縮ですが、そろそろ締めさせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

*1:この辺は過去エントリで詳しく書きました。良ければどうぞ。

*2:EテレDoramatic Actor's File」での発言