内から外へ、外から内へ 2 休暇とヒロスエ
前回の続きです。
「己の成長物語」を女優として、そして人間として最も重要視している広末涼子さん。
前述「ボクらの時代」内で、一度目の結婚・出産後に休業していた時の心境を聞かれ、それがさらに露わになりました。
堤
「2年くらい休んでたよね?」
広末
「あ、はい、そうですね。もう今だから言うけど辞めたくて辞めたくて…。
私はやっぱり女優さんとか、この世界って夢を売る仕事っていうか、自分も夢が叶ったし、子どもたちにもそうだし夢を与えたいと思うし、それを体現出来たら、って思ってやってきたけど。本当にあの時は辞めたくて辞めたくて。」
小池
「へえ…」
広末
「で、母に言われた言葉をその時に思い出したんですけど、しがみつくのだけは止めてって。このお仕事を始めた頃に言われてて、
何か妥協したり諦めて何かをするっていうのがすごく嫌いな女の人なんですね、うちの母は。すごく楽観的で潔くって格好いいんですけど。」
堤
「いいお母さんですね。」
広末
「女の子だからこの仕事を許したって、応援したって。男の人だったらお仕事辞められないと。やっぱり一生ものだから、安定したものをしてほしいとかって言うかもしれないけど、女の子は他にも道があるでしょ、って。女性としての幸せ、それは結婚なのかな、とかって。
それを言われたときにすごく、私は『私だってずっと一生やるのに』とか『そういう言われ方はしたくない』とかって、若いときは思ったんだけど、女性として豊かに、とかちゃんと生活のリズムを持って、とか、人間らしく生きたい、って思って、そのとき一度お休みさせてもらって。
そしたらすごく客観的に自分の仕事を捉えられるようになって、いかに自分が世界の中心だと思っていたか、っていうか」
小池
「あー、そうだよねー…」
広末
「みんなが全部見てくれてると思って。それを負担に思ったり、プレッシャーに思ったり、返さなきゃって思ったり、責任を感じたりってことが、みんなそれぞれに生活がある中で、自分の役割とか、やってることなんてちっぽけなものなのに、すごく重く受け止めすぎてて、何かこう、逃げたくなってたってのを、その休んだ間に感じたら、
『あ、私は、見るのが好きだから出たかったんだ』ってのを思いだして」
小池
「うん」
広末「なのに、見るのも出るのも嫌になってて。何てつまんない人になってたんだろう、って思って。」
小池
「じゃあ、やらされてる感みたいなのがあったの?」
広末
「何かこう、自分に枷がないとやる意味がないとか、メッセージ性がないとやる意味がないとか。
何か、すごく、そんな時期でしたね。」
小池
「辞めたいんだけど、みたいなことも言ったの?その時は、事務所に何となく…」
広末
「…辞めたくて太っちゃったりとか(笑)」
小池
「かわいいーーーーーー(笑)」
堤
「(笑)ものすごい戦略にでますね」
小池
「かわいいー!それいいね!」
広末
「(笑)すごい反抗期、遅く来た反抗期」
10代をトップアイドルとして駆け抜け、その後も女優として第1線で活躍していく中で壁にぶつかった広末さん。まあ休みたくもなりますよね、あんなに濃厚な時間を過ごした後なら。そして事務所が止めるのもよく分かる。お察しします。
ただそれでも「子どもの頃の夢を叶えた」ことに誇りを持ち、「辛い時期をわたしは乗り越えた」としっかり主張するのが広末さんです。過去を少々否定的に語りさえしながら。
つまり、哲学書や膨大な仕事、つかのまの休息など、周囲に存在するあらゆる出来事は、彼女の内部にあるフィルターを通って「昨日以上のわたし・広末涼子」へと強烈に転換する糧になるのです。いわゆる「スター」としての生き方ですよね。それは若いときからブレることのない、彼女の芯だと思います。
例えば前エントリで書き起こした「にわか雨」の話などは、憶測ですが子育ての中で実際あった出来事なのではないか、と。お子さんから、「にわか雨の『にわか』って何?」って聞かれたんじゃないでしょうか。で、「小難しい哲学用語などで語るよりも、誰にでも分かる言葉で語るほうが大切だ』という考えに至ったのではないかと思います。
彼女はそういう一つ一つの「成長体験」が自信になり、演技に生きるタイプなのです。
…………
これと全く逆の、しかし逆だからこそむしろ似ている人を、わたしはふいに思い出しました。
バカリズムこと、升野英知さんです。
続きは次回に。