静寂を待ちながら

お笑い、テレビ、ラジオ、読書

内から外へ、外から内へ 1 広末涼子の生き様

少し間が空きましたが、2013年7月7日放送【「ボクらの時代」、広末涼子×小池栄子×堤幸彦】が面白かったです。


ドラマの番宣ということでしたが、いつも通りのプライベートトーク
その中でも広末涼子さんの数々の発言に、わたしはすごく興味を持ちました。


堤監督の質問が、彼女の核心を突いたのです。


「どんな御本を読まれて育ったんですか?」


広末
「本当にスポーツしかしてなくて。漫画禁止だったんですよ。『漫画読むんだったら本読みなさい』って言われてて。
だから、両方読まなかったんですよ。小学生のとき。」



「『ガラスの仮面』も読んでないの?*1


広末
「全くです」



「ああ、そう」


広末「だから高校生になってから、語彙力が欲しいとか、何か言葉に変えたいとか思ったときに、ニーチェとかカントとか。」



ニーチェ、カントですか?!」


小池
「読んだことなーい…」


広末
「何かもう、『ソフィーの世界』に生きてましたね、高校生のときなんかは。」


小池
「どっぷりハマってたんだ」


広末「どっぷりハマってた。
十代の時とかは、本当に、表に出る仕事だからこそ、出したら何もなくなっちゃうんじゃないかって、不安に駆られてて、入れてかないと不安になるっていう。」



「そういうもん?」


小池
「カンカン*2になっちゃうよね」


広末
「(うなずいて)それが自信に繋がるとかでは、全然ないんだけれど、そういう時期ってあるんだな、って。
それが、大人になって、ふっと難しい言葉を使うよりも、知識で話すよりも、それをどう簡単に自分のものとしてお話しするのが大切か、とか、逆に難しい、とかいうのを分かるようになってからの方が、社会で生きていくのが楽しくなったっていうか」



「はー、勉強になります(おどけて頭を下げる)」 一同笑い


小池
「でもそうだよね、簡単に相手に伝えるって難しいよね。」


広末
「それと例えば、『にわか雨』っていわれて、『にわかに降る雨』だよって思うんだけど、『にわか』って分かんなくないですか?」


小池
「分かんないです。」


広末
「とか、当たり前に分かってると思ってたのに分かってないことって沢山あって、それを本当に大人になってから実感、体感することが多いなって…」

確か高校は進学校で、その後早稲田へ入学(後に女優業に専念するため中退)した才媛の広末さん。
現在はその頃の行動を「そういう時期の出来事」と語っています。


当時の心境を語っているものはないかな…、と探したらありました。
上記より、若干時期はずれているようです。

本も読んでる。デカルトとか…なんて言うと、なんだ堅そーと思うかもしれないけど、けっこうあの人、夢や希望を与えてくれる。哲学用語ばかりじゃないので、ニーチェやカントよりずっとわかりやすい。


「自分が他人より無知だと思うことは絶対にあり得ない。人に与えられた可能性は必ず平等で、学んで学びきれないことはない」というようなことを書いてて、すごい気持ちを上向きにしてくれる。一回仕事で読まなくちゃいけなくて読んで以来、よく読み返したりしている本です。
私、恋愛小説とかは苦手で、芝居で疑似恋愛ていうかそれに近いものはしているから、そういうのは本に求めてないんだ。むしろ新しい発想だったり、知識だったり、ボキャブラリーだったり、そういうのを求めてるって感じ。で、たまに「いや私は違うな」ってひとりで本に突っ込んだりしてる。


広末

広末

17〜19歳(from 週刊ザ テレビジョン) 19「初iモード&哲学してるヒロスエ」P.116 より抜粋


ソフィーの世界」に住み、ニーチェ、カントを経て、デカルトに惹かれるヒロスエ。すごいですね。


テレビ誌という媒体、アイドルという立場を鑑みた文体ですが、己の知性を隠さずにいたいという気持ちがばっちり垣間見えます。「私はかわいいだけの女じゃないのよ」、もっといえば「かわいい上に今は知性も磨いているのよ」という感じすら。溢れ出す思春期の自意識。


わたしはマツコ・デラックスさんのある文を思い出しました。
ヒロスエはアイドルとして世に出てきてから『奇行』だなんだでバッシングされたわよね」という話。

そういう人生経験、苦しめられた経験が、逆に彼女を大きくしたのよ。そんなバッシング状況の中でも、何食わぬ顔して男をモノにして、ソッコー、子どもまで生んで、シラーッとラブロマンスのドラマで復帰し、これまたシラーッと離婚しちゃったでしょ。つまんないことで心がポキンと折れるんだったら、それまでの女ってこと。
周囲からの攻撃に耐えたという自信からか、強靭な何かを手に入れてしまったわけ。ひょっとすると、何かが憑いたのかもしれないけど。

(中略)


大衆が認知することって、「人気がある」とか「よくテレビに出ている」ということとはまったく別のところで、「あの人ならしょうがないよね」という作用が働くものなの。これを持っているかどうか、そのポジションに上がれるかどうかが、芸能人にとっては大きいわよね。
もはや広末涼子は、そのレベルに達しているのよ。「ヒロスエがやるなら仕方ないよね」みたいな状況。もはや広末涼子は、第2ステージに入ったのよ。


世迷いごと (双葉文庫)

世迷いごと (双葉文庫)

1杯目 広末涼子 P.13〜15より抜粋

マツコさんのいうように、広末さんは、生き様がそのまま大衆認知、そして芝居に繋がっているタイプの女優さんです。
「哲学にかぶれた」のも決して若さゆえだけでなく、「己の成長物語」の一端として機能しています。それはこの頃から現在に至るまでの彼女を連綿とつなぐ、重要なアイデンティティーなのです。おそらくご本人も、そこにかなりの自信を持っているはずです。


同番組内で、それがさらに明確になった箇所がありました。
続きは次回に。

*1:番組前半で「小さいときからずっと女優になりたかった」という話をしていたので、この質問が出てきたのだと思われます。

*2:恐らく「カンカン照り」などに用いられる副詞。でしょうか。「干からびる」というニュアンスで使っていました。