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多崎つくるくん・1 音楽と喩

ミーハーなので、読みました。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年


作中楽曲がまたも話題になりましたね。

Liszt: Annees de pelerinage (Complete recording)

Liszt: Annees de pelerinage (Complete recording)

きっと草葉の陰でリストもベルマンも驚き、喜んでいるでしょう。


春樹さん、相変わらず楽曲も演奏者も実に渋いセレクト。
リストはコンサートで取り上げられる機会が多いほうです。が、「巡礼の年」*1の中でよく弾かれるのは「オーベルマンの谷」「ダンテを読んで」「エステ荘の噴水」あたりではないかと。華やかで聴きごたえがあるやつ。
今回取り上げられた「ル・マル・デュ・ペイ(邦訳では「郷愁」)」は文学性が高くヨーロッパ的知性も内包された素敵な曲ですが、日本では特に、単体ではまず演奏されないのではないでしょうか。地味すぎて。
わたしはすくなくとも「巡礼の年第1年・全曲演奏」取り組みの場でしか聴いたことがないです。
でもこれから増えそうですね。


モチーフは「オーベルマンの谷」と同じ、セナンクールの小説「オーベルマン」*2。ヨーロッパを放浪する主人公オーベルマンが、青春の苦悩や自然についての思索を親友へ書き連ねた、91篇の書簡で構成されています。
当時ゲーテの「若きウェルテルの悩み」と共に、自殺を流行らせたという魔の物語です。だから、これを愛奏する女子高生が、幻覚やよからぬ妄想にとり憑かれるのは理解できる気がします。
余談ですが時をほぼ同じくして、日本でも心中ブームがあったと言います。なんだよ19世紀。怖いよ。


まあ、音楽ヲタとしての前置きはこのくらいにして、作品の感想を。
圧倒されました。まるで神話のようだ、と思いました。
物語としての「喩」の何と美しいことよ。

タイトルに「色彩を持たない」、とありますが、つくるくんにも色があります。おそらく。
赤、青、白、黒…、と登場人物の色を挙げていけば、おのずから描かれていない色が見えてくる。
陰陽五行、あるいは色彩美学の暗喩でしょうか。
あと「自分のことは見えないものだ」的な意味もありそう。
いずれにせよ、最も大切なことは「余白」にされているのです。かっこいい。


「喩」の続き。
主人公が「駅」を「つくる」人であること、
挫折から現実へ再コミットする際に、「水泳」を通過したこと、
旅先案内人として現れる「木元沙羅」という存在、その名前が示すもの。


それから黒と白・灰が入り混じって表現されるいびつな性愛の描写と想起、
「オーベルマン」の中でも示された「旅・巡礼」、その深化と音楽のシンクロ、それから挿入話としての「緑(森)」と「異形」の出現、
最後の地に選ばれた「森」、そこで「泳ぐ場がなかった」ことの意味。


他にもたくさんありますが、そのどれもこれもが大変象徴的で、普遍性をはらんでいます。
仏教でもギリシャ神話でもヨーロッパ哲学でも心理学でも、後は角度を変えれば時代性とか…、
とにかく自分の好きな場所から読み解き、想像を巡らせられる多層さがあります。


極める、ってこういうことなんでしょうね。本当にくらくらします。ノーなんとか賞とかもう関係ないよ。


もうひとつ、特記したいのは「悪」について。
ちょっと話がそれるので次へ回します。

*1:第1年のみならず全部の中で、という意味。

*2:詳しくはwikiで。