最高のまほろ駅前にはらちゃん。
今クールはドラマが良作ぞろいです。
嬉しくてテレビばっかりみています。
まず木10、「最高の離婚」。
坂元裕二さんの心をぐいっとえぐるセリフが山ほどある脚本に乗せて、
あの素敵な役者陣が演じるのだからたまらない。
期待通り、素晴らしいです。
夫婦ものということで、男女のあいだにある底なしの溝について。
よしもとばななさんと村上龍さんの対談より。
吉本
「(前略)男の人は突き詰めればみんな自分勝手というところが出てきて、女の人はみんな気違いになっちゃうんだと思うのです。
それで反対というのはあり得ないと思う。
恋愛とかでいろいろ争いが起こるでしょう。
それでとことんつきつめると、結局最後は男は自分勝手になって、女の人は気違いになっちゃうでしょう。そうだなあと思って……。
これは女の人ってのは一定のラインから上がったり下がったりして、いつもそこに戻るというか、そういうことなんじゃないかなと、この年になって思います*1。
戻れなくなると、取り乱しちゃうような。戻ることによって、自分を守るような。」
村上
「まあそういうふうになってないとね、人類は存続してこなかったからね。」P.104〜105 より抜粋
- 作者: 吉本ばなな
- 出版社/メーカー: 福武書店
- 発売日: 1993/04
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この事実をドラマ化しているのだ。怖いですね。
でもたとえば、必ずどこかにあるひとり語りのシーンはそれぞれのキャラクターがあけすけに出ていて、
コミカルさがあるから重いだけでもない。
もちろん毎回変わるエンディングダンスも、「これはファンタジーですよ」のいいサインになっているし。
それから、
第1話に震災の話を盛り込んできたのも印象的だった。
光生が、元カノの灯里(真木よう子)と食事をしているとき、ふいに地震が起こる。
それをきっかけに、妻である結夏(尾野真千子)とは「震災」が縁で結ばれたのだ、と告白。
この場面は設定といい流れといい、本当に自然で絶妙でした。
実際、そういう夫婦やカップルって多いと思うし(身近にいます)、
大根仁さん&岡宗さんの名作「秀吾岡宗のすべらない震災の話」で語られていた、
不謹慎かもしれないけれど切実でまぬけなリアリティがそこにありました。*2
*3
…………
そして、金曜0時12分は、深夜ドラマ番長・大根仁監督の「まほろ駅前番外地」。
原作が映画化されていたのでちょっと意外でしたが、大根さんファンのわたしは、制作発表のときから放送を待ちわびていました。
いとうせいこうさんに「DJの才能がある」と言わしめた大根さんらしい第1話の冒頭、フラワーカンパニー「ビューティフルドリーマー」へのつながり、
タイトルバックの「あらかじめ決められた恋人たちへ」の「Back」オマージュ*4、
そして坂本慎太郎さんの「まともがわからない」。
いつも音楽が素晴らしいですよね。それだけでも大満足。
また、町田市がモデルになったという、
架空の街「まほろ」の何ともいえない郊外感。
誤解を恐れずにいいますが、
3年前のテレ東ドラマ「モテキ」で、主人公・幸世が己のふがいない現状を自虐した、
『居心地のいい地獄』というセリフが、
何となく「まほろ」にも別の意味で横たわっている感じがします。
今回は、どこか肯定的で愛情があるというか。
ドロップアウトに対して、なにももかもが受容されている気がする。*5
そもそも地獄とか天国だとか、環境の善し悪しを色付けして決めるのは本人の主観ですしね。
特に、新井浩文さんがゲストだった第5話は面白かったなあ。すべてのモチーフが丁寧につなげられていたり、3人のよい雰囲気が伝わってきたりで*6。
…………
それから、土9の「泣くな、はらちゃん」。
漫画の世界から飛び出してきたピュアすぎる「はらちゃん」役に長瀬智也さんはぴったりだし、
麻生久美子さん演じる不器用な越前さんも魅力的。
既に張られているたくさんの伏線が、これからどう回収されるのかも楽しみです。
そして、パラレルワールドと現実の行き来は「激しく揺れる」ことでつながるという設定に、
こちらもどことなく地震が想起させられます。
先日の第5話は圧巻でした。「死」について。
わたしは平野啓一郎さんの新作「空白を満たしなさい」の中にあったフレーズを思い出しました。
『死は、傲慢に人生を染めます』
死の瞬間は特別ではなく、
生きているどの時間に対しても同等の存在ということ。
命がひとしく尊いように、死に様はその人のすべてでない*7。
それから、
2012年7月、講演会「こころの寄り道 辻説法」*8で、福島在住の作家・玄侑宋久さんが話していたことも頭をかすめました。
今回の震災では、遺体が見つからなくても死亡届を出せることになっている。
でも、不明者がいても届けを出さない人も少なくない。
「どうして?」と尋ねると、
「もしかしたらどこかへ流れ着いて、記憶をなくして、まだ生きているかもしれないじゃないですか」と、真顔で言う方がおられるそうだ。
昨日は見つからなかったけれども「今日は」見つかるかもしれない、
そこに希望を持っている人がいること。
簡単にどうこう言える話ではないですが、
境界を越えてパラレルワールドへと浮遊する心は、たしかに生きる支えになりうる。
…………
そんなわけで、
「男女」の人間関係を深く見つめて深呼吸し、
ちょっと遠い目になってアウトローな人々と微笑んだあとは、
幻想世界へ華麗にダイブする。
そんな週末が3月まで続くのです。
各方面に感謝です!生きててよかった!