静寂を待ちながら

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Contemporary Tokyo〈≒Nippon〉 Cruise (ceroツアーのこと)

ライブ日記です。


cero「My Lost City」ツアーに行ってきました。



札幌cube gardenと、渋谷CLUB QUATTROへ*1


セットリストなどの記録的な内容ではなく、あくまでわたしの雑感です。


…………
まず札幌。
地元バンド「カラスは真っ白」、朋友「Alfred Beach Sandal」と共に。


ツアー終盤ということで、ものすごく期待していましたが、さすが!の仕上がり。
「水平線のバラード」から「ワールドレコード」への高揚感、
照明で表現される雷、そして高城さんの情感あふれる歌い方が魅力的だった「cloud nine」、
「船上パーティー」にかけてのユーモラスな流れ、
「Contemporary Tokyo Cruise」の強度。


それからアンコール、「大停電の夜に」で姿を現した夜汽車の灯。


などが印象的でした。


全体を通して、素人が恐縮なのですが、
演奏の進化っぷり、
「My Lost City」「WORLD RECORD」の世界観を表現した演出*2
そしてリズムの柔らかさというか、余白のある拍子感覚がすごく心地よくて素晴らしかった。


熱とゆとり、そして笑顔のあるノリ、とでも言ったらよいのか。


また、北国のお客さんにありがちな、
「気持ちは強いけれど、派手には表現できないおとなしさ、不器用さ」をきちんとくみ取り、
「なんか、みんなあったかいよね」「実は、のときのお客さんなんじゃない?」「たしかにCDで聞いたあの感じに似てるよ」
「まさか…、あの伝説のオーディエンス?」


などと、客いじりも板についていたことをおまけに記しておきます。





カラスは真っ白は快調、
Alfred Beach Sandalもすごくよかった。音源あっという間に売り切れてましたね。


…………


そしてツアーラストの東京。
前日には髪を切ったりステーキを食べたりして*3、それぞれ気合いを入れていたようです。


その熱量たるや、圧巻でした。
冒頭で満員のフロアを見つめて、瞳を潤ませていた高城さんの姿が今でも目に焼き付いています。


もちろん音楽の美しさも尋常ではなかった。
それぞれが自由に奏でているようで、きちんと有機的に繋がっている、
あの壮大で複雑で豊かなアンサンブル。
ポップでエキゾで、しかし現代音楽のようでもあり、バッハのようなポリフォニーを想起させもする。


まさに「Contemporary Exotica Rock Orchestra」!


角張さんもつぶやいていましたが、この日の「Contemporary Tokyo Cruise」はすごかった。自信が音に満ちていた。
水平線の向こうから船がせりあがってくるかのような、ゆったりと始まる冒頭には、
日本を周って演奏を重ね、大団円を迎えた彼らの万感の思いが詰まっているようでした。


MCでも「この時期に日本を周れたことの意味*4」について話していましたね。


ホームの東京を出発し、
「Contemporary Cruise」を経て、
最後にタイトルの地へ戻ってきたという、溢れんばかりの喜び。


ステージとフロアが一体化して同じ夢を見ていた、
実に奇跡的で幸福なひとときでした。


…………


わたしは今回のアルバムのタイトルに引用されている、スコット・フィッツジェラルドの小説「マイロストシティー」の一節を思い出したのです。


好況の享楽に湧くNYと、恐慌後の混乱。
その両方を体験した筆者の自嘲的な語り。

しかし私がその時に上ろうと決めたのはもっとも新しくもっとも高い魔天楼ー エンパイア・ステート・ビルであった。
そこで私は全てを悟ることになった。
全ては解き明かされていた。わたしはニューヨークという都市の致命的な誤謬、そのパンドラの箱を眼のあたりにしたのである。


(中略)


ニューヨークは何処までも果てしなく続くビルの谷間ではなかったのだ。そこには限りがあった。
その最も高いビルディングの頂上で人がはじめて見出すのは、四方の先端を大地の中にすっぽりと吸いこまれた限りある都市の姿である。


果てることなくどこまでも続いているのは街ではなく、青や緑の大地なのだ。
ニューヨークは結局のところただの街でしかなかった、宇宙なんかじゃないんだ、そんな思いが人を愕然とさせる。


マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)

マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)

P.255〜256 より抜粋


フィッツジェラルドはこのフレーズを絶望の中で語り、
それは媚薬のようにわたしたちを酔わせるけれど、
一方ceroは同じことを「陽の気」で編み、奏でている。


街が見せる夢、虚構、そして生活者としての日常、あるいは天候など自然との対峙。
それらを全て「ふんふん」と受け止めているあの感じが、
やっぱり多くの人の胸を打つのだと思う。明るさは偉大。


あと、音楽が好きでたまらないからやっているのだよ、という真っ直ぐな考えと、
たまには照れてみたりもする品のよさも魅力的ですよね。*5


最後に。
アルバムラスト曲の「わたしのすがた」より。

シティポップが鳴らすその空虚、
フィクションのあり方を変えてもいいだろ?


このフレーズに、相当の説得力が帯びた気がしました。



これからもっともっと日の当たる場所へ向かっていくのだろうなあ。とても楽しみです。

*1:詳細は、何度リンクをしたかわからない特設サイトへ。

*2:主に照明で、天気や海の様子などが表現されていました。文学的だったなあ。

*3:荒内さんと橋本さんが散髪。高城さんがtwitterで前夜ステーキ食べたことを報告していました。

*4:主に震災後、という意。

*5:書きながら、『バナナ炎』で設楽さんが自ら語った「バナナマンのいいところ(意訳)」に似てるなあと思いました。「これから俺たち、すごいことになるぜ」という日村さんの名言をここに捧げておきます。