静寂を待ちながら

お笑い、テレビ、ラジオ、読書

テレビの「毒」と「境界」

もう、かなり前になりますが、小田嶋隆さんが現代のバラエティ番組について批判的に語ったブログは、随分話題になりました。

「偉愚庵亭憮録」  コラムニスト小田嶋隆の日録ページ


2012.9.2.「お笑いについて」


http://takoashi.air-nifty.com/diary/2012/09/post-d92e.html

彼はこのエントリで、ドリフなど、過去のお笑い番組を今の番組を比較し、当時の手法や本人のノスタルジーも含めて
「昔はよかった」「良質で高揚する番組が多かった」「現代のお笑い番組はレベルが低下している」というようなことを主観的に書いています。


もう復帰していますが、発端はスギちゃんが(おそらく)「Qさま!!」の特番で「10mの高飛び込み台から何分で飛び降りれるか?」という企画で起きた事故について
「いじめを助長するもの」だとtwitterで語りました。*1
その内容を補完する意味で、こちらに過去のメルマガ原稿をアップしたようです。


普段、積極的に面白い番組を探して笑い楽しむ、多くのお笑いファンにとって、これらの言説には違和感を禁じ得なかったように思います。


同様に、私も「腹が立つなあ、しかも時代錯誤でしょうもないなあ」と文句を言っていました。
でもこれをきっかけに、今テレビで何が起きているのかを、心の問題として考えてみたいとも思いました。


もう1カ月以上も経ってしまい、鮮度もすっかり薄れましたが、いつもの妄想と思いつきを書き散らしてみます。

…………


TVに限らず、ラジオ、映画、舞台、それから音楽、アート、文学、などというのは、
人間の空想、妄想が具現化したものです。


いってみれば「幻想」の世界だといえます。


少し前に、学校祭の出しもので「アメトーーク」のまねごとをして玉砕したという話がネット上で小さな話題になりました。


いうまでもなく、その失敗は「幻想」と「現実」をはきちがえてしまったことが原因です。
プロの芸人やテレビマンたちの熱意と技術があるからこそ、あの素晴らしい番組は成立しています。


幻想であって、現実ではない。
しかし、小田嶋さんはそこに「いじめの根」という現実をみました。
これも、ひとつの心のありかたなのかもしれません。


閑話休題


お笑い好きな人たちからも、ときには揶揄の対象となりがちなゴールデン番組。
そのような場では一般的に「視聴率がとりやすい具象」があります。
「子ども」「ペット」「グルメ」などです。


マーケティング的な部分はさておいて、心の問題として捉えた場合、
私の考えでは、それらは「境界」を意味しているように思います。


淡々とした日常と、毒をはらんだ表現物としての幻想との、だいたい中間地点に位置するものです。


「境界」は適度な刺激として、お茶の間へ入ってきます。
その本質はやはり現実でなく、幻想だと思います。

今活躍している子役たちはとても可愛いですが、彼らが「子ども」を演じていることは周知の事実です。
また、スポーツ番組などで芸人さんがコメンテーターとして出演されている場合も同様で、
その場合、彼らは端的にいえば既知の人と無知と人とをつなぐ潤滑油の役割を果たしています。


出演者と作り手の技術が、ファンタジーと現実との境目をあいまいにします。
それが彼らの仕事です。
しつこいですが、あくまで幻想なのです。


そう考えると、小田嶋さんは「境界」で表現されているものについて、批判的な主観を持っているのかなと推測します。
実際、過去より規制が厳しい昨今、特にテレビでは「境界」が増えています。
そこに現実の何かが投影されていることを、よく思っていないのかもしれません。


もちろん、「毒」や「白昼夢の空想・妄想」の純度が高い番組は、今でも沢山あります。
それが彼のもとには届いていないのでしょうか。
「テレビがつまらなくなった」という人全般の気持ちの一部も、ここに集約されるのではないかと思います。


現状では、「境界」が最も多く露出されています。
しかしこれは、時間と空間の制約があるテレビの仕組みを前提とした場合です。


これらはネットの出現やコンテンツDVD化の普及で、既にほぼ崩壊しているかと思います。
過去よりも、求めている人には届きやすくなっています。


私自身も地方在住ですが、話題になったり、どうしても見たいと思うようなものは、
それが各地のローカル番組であっても、
タイムラグがありつつもほとんど観ることができています。


過去の仕組みで見ている人と、
現在の流れで捉えている人では、世界が違って見えて当然です。


そもそも、テレビそのものが心的に言えば「お茶の間から見られる幻想」という、「境界」に位置しています。


どんどん境い目が溶けていくということ自体が、自明の理なのかもしれません。



いえ、ただの素人の妄想です。

*1:togetterでまとめられています。