笑って、逸れて、許して、
2012年6月13日、DOMMUNEのUSTREAMストリーミングにて、
『長尾謙一郎「PUNK」完結記念番組「DECODEING of PUNK」』が放送されました。
DOMMUNE LIVESTREAMING INFORMATIAN & RESARVATION!!!!!!! (2012年6月13日分)より
http://www.dommune.com/reserve/2012/0613/
長尾謙一郎「PUNK」完結記念番組が明日DOMMUNEで
(コミックナタリー 2012年6月12日)
http://natalie.mu/comic/news/70976
ギャグとカオスの入り混じる長尾さんの漫画「PUNK」を、精神研究家やオカルト実践者等を招いて多角的に解剖するといった、とても不思議な番組でした。
- 作者: 長尾謙一郎
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2012/05/29
- メディア: コミック
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そこで放たれた、DOMMUNE代表であり、この日は声のみで出演されていた宇川直宏さんの言葉。
宇川「ギャグ漫画家というのは、現実からの逸脱を繰り返していかないと続かない。
(創作の過程で)現実との距離をずらし続けているから、いずれ発狂していく。
(生涯ギャグ漫画を)書き続けていく人はほとんどいない。だいたい、年齢を重ねると情緒的な作品を発表するようになる」
(中略)
宇川「笑いとは、逸脱のおしゃれイズムなんですよ」
「笑い」は、身体の緊張を解く行為です。
原初の時代、自然の脅威や猛獣らとの対峙など、さまざまな恐怖にさらされた人類が、命を長らえるために編み出した身体反応でした。
今までに経験したことがない事態におかれたとき、人はおかしくもないのに笑ってしまうことがあります。
これは、身の危険、違和を察知した本能の叫びです。
笑えないから、笑うのです。
恐怖を目の前にし、極度の緊張状態に置かれると身体は硬直します。
そのままでいれば、最悪の場合、死へ至る危険性もあります。
生きるために、恐怖から逃れるために、私たちの祖先は「笑い」という防御方法を身につけたのです。
それは、身体を弛緩させる*1だけでなく、精神をも解き放つ役割を果たします。
現実を忘却し、空想や妄想へと心を浮遊させてくれます。
ある意味、笑うことは麻薬のようなものなのかもしれません。
弛緩し、そして繰り返し飛翔、あるいは沈殿する想念は、やがて狂気へと変貌するのでしょうか。
生き延びるための技も、使い過ぎると自らを緩慢に殺める凶器になるとは、大変皮肉です。
これを漫画や芸などの表現へと昇華させる折には、宇川さんいわく「おしゃれイズム」、すなわちセンスや知性が問われる、ということなのだと思います。
2012年6月20日、探検バクモンSP「爆笑問題の沖縄入門」の中で、基地の存在を風刺するコントグループ「お笑い米軍基地」のパフォーマンスを観て、太田光さんが語ったこと。
太田「笑うってのは、ひとつ許すこと」
2012年6月20日放送 探検バクモンSP「爆笑問題の沖縄入門」
http://www.nhk.or.jp/bakumon/blog/20120620.html
米軍基地に対する思いをコントという形で表現し、一矢報いようとしている同グループの小波津正光さん。
彼へ対して太田さんは、笑うことで、ある意味受容してしまっている、もっとしっかり、一つ一つの問題と向き合うべきだと、鋭く指摘をされました。
笑うことで開かれた身体と心は、厳しい現実と向き合うための準備や覚悟を獲得します。
しかし、麻痺の泉に浸かっているだけなら、何も変わらない。
太田さんは、ご自身の時事漫才での経験を交えながら、誠実に思いを語りかけていました。
笑い飛ばして、許す。
個人的には、人の行動の中で最も暖かく愛情ある行為のひとつだと思っています。
辛苦から逃れたいと一瞬は逃避し、でも何とか受け止めるべくはたらく身体反応。
なんとも神秘的です。
現実から逸脱し、想像の羽を広げていく。
それが、地に足をつけて生きる糧になるというのは、不可思議で、でも泣きなくなるような喜びを内包しているように思います。
もちろん、一歩踏み外すと毒と奈落が待ち受けています。ただ、それすらも魅力的です。
笑い、心身を緩ませ、逸脱し、それからすべてを許容し、
現実へ着地する。
このループを生きるために、何ができるのか。そんなことばかり考えています。
*1:リラックスするために(ページ中央付近)http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/002/003/010/004.htm